マッカ巡礼と四国遍路

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     日本人は概して宗教という意識が薄い。仏教徒がそのほとんどを占めているのは間違いないが、各々がそのことを意識することは少ない。仏壇が家庭にある家の場合は、習慣として毎日仏壇の花や水を取り替え、拝みもするであろうが、現代では仏壇がない家も多く、そういった人たちが、自分が仏教徒であることを意識させられるのは、葬儀や法事という場においてのみである。そんな宗教意識の薄い日本人に対して、ムスリムの自分がイスラーム教徒であるという意識は、比べ物にならないほど高い。それは「神」・「天使」・「経典」・「預言者」・「来世」・「天命 」の6つからなる六信と共にイスラームの重要な基本である、五行が日常に入り込んでいるからである。イスラームの基と呼ばれ、実践面を尊重するイスラームの大切な基準をなす五行のうち、「信仰の告白」と「礼拝」は毎日行われている。それも礼拝は日本人が仏壇に向かって拝むのとはまったく違う。日本人が仏壇に向かって拝むのは「ドゥアー」といわれる個人個人の祈りに近い。それに対し五行の祈りは「サラート」といわれ、形式も時間も定まっており、どんなに忙しくとも忘れてはならない。日常に義務として宗教的行為が行われていれば、宗教意識が高まらない方が不思議である。それほどにムスリムと宗教意識の差がある日本人であるが、日本にも「巡礼」は存在する。西国三十三箇所のような寺院を巡るもの、熊野詣でのように神社を巡るもの、また山岳信仰もそれにあたる 。今回はその中でも有名と思われる四国八十八箇所を巡る、いわゆる「遍路」を「マッカ巡礼」と比較してみようと思う。
    ・ その始まりについて
     マッカ巡礼の始まりは不明だが、マッカ巡礼はムスリムの五行の1つであり、コラーンに義務として記されている。コラーンはマッカにあるカアバ聖殿は、人類のために初めて建てられた家であると説き(3章90節)、「その内部には数々の明白な御徴がある―(たとえば)イブラーヒーム御立処など。

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     日本人は概して宗教という意識が薄い。仏教徒がそのほとんどを占めているのは間違いないが、各々がそのことを意識することは少ない。仏壇が家庭にある家の場合は、習慣として毎日仏壇の花や水を取り替え、拝みもするであろうが、現代では仏壇がない家も多く、そういった人たちが、自分が仏教徒であることを意識させられるのは、葬儀や法事という場においてのみである。そんな宗教意識の薄い日本人に対して、ムスリムの自分がイスラーム教徒であるという意識は、比べ物にならないほど高い。それは「神」・「天使」・「経典」・「預言者」・「来世」・「天命 」の6つからなる六信と共にイスラームの重要な基本である、五行が日常に入り込んでいるからである。イスラームの基と呼ばれ、実践面を尊重するイスラームの大切な基準をなす五行のうち、「信仰の告白」と「礼拝」は毎日行われている。それも礼拝は日本人が仏壇に向かって拝むのとはまったく違う。日本人が仏壇に向かって拝むのは「ドゥアー」といわれる個人個人の祈りに近い。それに対し五行の祈りは「サラート」といわれ、形式も時間も定まっており、どんなに忙しくとも忘れてはならない。日常に義務として宗教的行..

    コメント1件

    musashimaru 購入
    レポート作成に役立ちました。
    2007/05/28 12:45 (9年6ヶ月前)

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