ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記及び、その世界観について

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    賢治の物語に共通して出てくるものがある。それは「イートハーブ」という概念である。イーハトーブとは何か?賢治は1924年、対象13年12月1日付けで、イートハーブ童話集「注文の多い料理店」を自費出版している。その広告文の中で「イーハトーブとは一つの地名である」と書いている。しかしそれより以前に「イーハトーボ農学校の春」を書いたと推測される。賢治はイートハーブと書いたり、イーハトーボと書いたり若干の表記ゆれはあるものの、その言葉は全て同一のものを指しており、それこそが賢治が理想として頭の中に描いた世界であるといえる。イーハトーブとは、もともとは「エスペラント」という一八八七年に、ポーランド出身のユダヤ人で眼科医のザメンホフが考案し、普及運動につとめた言語であり、世界共通語を目指したものをもじったものといわれ、賢治の出身県である、岩手県の旧かな表記の「イハテ」から発想した健治の造語とされている。
    「注文の多い料理店」の広告文には「ドリームランドとしての日本岩手県である」とあるが、これは素直に受け取ることは出来ないだろう。なぜなら、その当時岩手県は決して豊かではなく、農民は冷害に苦しみ、医療や教育の水準も低かったからである。賢明な賢治がそのことを知らなかったとは到底思えないし、すると、やはりイーハトーブとは賢治が理想として描いた世界であり、現実の岩手とは違うという結論に達するのである。賢治がイーハトーブを求めたのは単に物語の為だけにではなく、それが賢治の現実とも硬く結びついていたのではないだろうか。賢治の現実は苦しく、だからこそイーハトーブという世界を描き出すに至ったのだろう。賢治は岩手県で生誕し、岩手県で没しましたが、少なくとも若いときは岩手での暮らしに満足出来ずに、他の文学青年と同じように、東京思考が強い青年であった。

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    ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記及び、その世界観について
    宮沢賢治の作品の特徴として、幻想的な世界観が挙げられる。その中でも私がとくに面白いと思ったのは『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』である。ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記は冒頭部や結末部の原稿などが欠落してはいるものの、世界観、言葉の言い回しなどだけで見てもとても面白い作品である。この物語は、関鉄三の宮沢家勤務時期の調査及び、使用原稿用紙の文献学的研究に基づき、成立時期が大正9年~大正11年と推定される。文庫本全集の解説において、天沢退二郎も、その内容から賢治作品の中でもかなり初期に執筆された作品であるということを推定している。石岡直美著の「宮沢賢治研究」の中の略年表試案においても学生時代と出京時代にかけての作品であると記され、賢治が国柱会に入信した時期と重なっているとされる。さらにこの物語は約10年後に成立することとなる『グスコーブドリの伝記』の原型になっている。
    ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記は頻発する『ばけもの』の活気あるリズムに乗って進行する物語で、その中で例えばニーチェがニーチャに、カントの道徳律がばけもの律..

    コメント1件

    s0312092 購入
    参考にさせていただきました。有難うございます。
    2006/11/29 23:22 (10年前)

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