「子どもと悪」について考える

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    資料紹介

    日本の教育現場では、子どもの良さや可能性を伸ばすなど、とかくポジティブな面ばかりが強調されるからである。どうにかして「よい子」をつくり、子どものネガティブな側面は排除すべきものとして指導を行うことで、教師たちは「悪」から目を背けてきたように思われる。河合隼雄は、そのような教育のあり方に警鐘を鳴らし、大人がもう少し悪と辛抱強くつきあうことによって、子どもともっと生き生きとして豊かな人生をともに味わうことができると述べている。そして、悪の持つ「創造性」という側面に着目して、いくつか例を挙げて説明している。子どもと悪の関係について、現代の学校現場が抱える問題も踏まえて考察を行いたい。

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    「子どもと悪」について考える
    日本の教育現場では、子どもの良さや可能性を伸ばすなど、とかくポジティブな面ばかりが強調される。どうにかして「よい子」をつくり、子どものネガティブな側面は排除すべきものとして指導を行うことで、教師たちは「悪」から目を背けてきたように思われる。河合隼雄(1997)は、そのような教育のあり方に警鐘を鳴らし、大人がもう少し悪と辛抱強くつきあうことによって、子どもともっと生き生きとして豊かな人生をともに味わうことができると述べている。そして、悪の持つ「創造性」という側面に着目して、いくつか例を挙げて説明している。一部、自己の体験とも絡めて考察したい。

    第一に、個性の顕現としての視点である。友達と遊ばずにひとり読書に明け暮れる子ども、ひとりで外で砂遊びをしたがる子ども。教師はこのような子どもを集団内に入れ込むために努力する。それは皆と同じに行動できないのは、集団の秩序を乱す「悪」と考えるからである。個性や創造性を伸ばすと言いながら、じつはそれらを「悪」として排除しようとする矛盾を日本の教育は抱えているように思える。教師をはじめ大人たちは、時に自らの価値判断を脇に置き...

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