百済史における倭との関係について

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    現在友好関係があまり思わしくない朝鮮半島の北朝鮮・韓国との日本の関係性を考える上で、「戦争」というのは避けては通れない問題だと思う。今回は朝鮮史の中でも百済史とのことなので、当時朝鮮半島の中では比較的日本(倭国)とも友好的だったといわれている百済と倭国の関係(主に当時の交流と白村江の戦い)について調べ、レポートとして提出することにする。
    まず、百済の成立とその概要を見てみることにする。正確な百済の成立年代はまだ分かっていないが、少なくとも3世紀後半から4世紀初頭に起こった国だといわれている。百済の建国には諸説があり、未だにその歴史は謎につつまれたままである。『朝鮮半島の考古学』の第6章で早乙女さんはこう書いている。馬韓の50余国のうち伯済国が成長して百済となった。『晋書』四夷伝馬韓条をみると、太煕元年(290年)に晋に上献したのを最後に馬韓は中国資料から姿を消し、再登場したときには、百済という名称にかわり、咸安2年(372年)に晋に使いを送っている(『晋書』簡文帝紀)。おそらくこの間に百済が成立したとみてよい。その後、百済は朝鮮半島に同時期にあった新羅・加羅・高句麗とともに共存し、663年に白村江の戦いで敗退するまで存在した。
    次に、百済の歴史を少し詳しくみてみることにする。百済は大きく分けて3つの時代に分けられる。前期の漢城期と中期の熊津期と後期の泗期の3区分である。これらは都の所在地で分けられている。まず前期の漢城期であるが、百済の都は現在のソウル漢江南岸にあり、漢城と呼ばれた。漢城時代の百済は拡大を続ける北方の強国である高句麗との死闘を繰り返した。

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    百済史における倭との関係について
     現在友好関係があまり思わしくない朝鮮半島の北朝鮮・韓国との日本の関係性を考える上で、「戦争」というのは避けては通れない問題だと思う。今回は朝鮮史の中でも百済史とのことなので、当時朝鮮半島の中では比較的日本(倭国)とも友好的だったといわれている百済と倭国の関係(主に当時の交流と白村江の戦い)について調べ、レポートとして提出することにする。
     まず、百済の成立とその概要を見てみることにする。正確な百済の成立年代はまだ分かっていないが、少なくとも3世紀後半から4世紀初頭に起こった国だといわれている。百済の建国には諸説があり、未だにその歴史は謎につつまれたままである。『朝鮮半島の考古学』の第6章で早乙女さんはこう書いている。馬韓の50余国のうち伯済国が成長して百済となった。『晋書』四夷伝馬韓条をみると、太煕元年(290年)に晋に上献したのを最後に馬韓は中国資料から姿を消し、再登場したときには、百済という名称にかわり、咸安2年(372年)に晋に使いを送っている(『晋書』簡文帝紀)。おそらくこの間に百済が成立したとみてよい。その後、百済は朝鮮半島に同時期にあった..

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