ルネサンスと都市論

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    資料紹介

    ルネサンスとは
      14世紀ごろから,イタリアを中心にしておこった古典文化の復活をめざした人間主義的文化運動。イタリア諸都市は古代ローマ文化を継承できる立地条件にあった上に,東方貿易によって栄え,市民のあいだに自由な空気が強かった。また,ビザンツやイスラーム文化の影響も取り入れるなど,先進文化の刺激があったことなどが,ルネサンスをおこす前提になった。
    14世紀、ボッカッチオ(1313〜1375)は『デカメロン』のなかに,社会の各層を代表する人物を登場させながら,新興市民による人文主義的批判を既存社会にあびせ,その友人ペトラルカ(1304〜1374)は人文主義運動の先頭に立ち,ギリシア・ローマの古典古代の文献収集につとめ,登山そのものを目的とするモン=ヴァントゥー登山を行った。古代の復興,人文主義の抬頭するなかで,ジオット(1266ごろ〜1337)は,その師チマブエとともにルネサンス絵画・彫刻・建築に,ビザンツ美術やゴシック美術を排して,人間愛に満ちた,自由な作風を導入した。
    15世紀になると,トルコに脅かされたビザンツ帝国から,多くの学者が避難してイタリアに来たことや,貴族化してきた大市民の保護を受けて,人文主義はギリシアの原典研究にむかった。
    15世紀末から16世紀フィレンツェが衰え,代わってローマ,マントヴァが中心地となり,最後にはヴェネツィアへ移行していった。
    このころから地中海を利用した東方貿易が衰え,イタリアの経済力が低下してきた。イタリアの戦乱は芸術・学問の中心をアルプス以北に移していった。北方ルネサンスといわれるのがこれであるが,これがイタリアからの移植であったか,

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    ルネサンスと都市論
     ルネサンスはイタリアの都市にどんな影響を与えたのか。
    ルネサンスとは
      14世紀ごろから,イタリアを中心にしておこった古典文化の復活をめざした人間主義的文化運動。イタリア諸都市は古代ローマ文化を継承できる立地条件にあった上に,東方貿易によって栄え,市民のあいだに自由な空気が強かった。また,ビザンツやイスラーム文化の影響も取り入れるなど,先進文化の刺激があったことなどが,ルネサンスをおこす前提になった。
    14世紀、ボッカッチオ(1313~1375)は『 デカメロン 』のなかに,社会の各層を代表する人物を登場させながら,新興市民による人文主義的批判を既存社会にあびせ,その友人 ペトラルカ (1304~1374)は人文主義運動の先頭に立ち,ギリシア・ローマの古典古代の文献収集につとめ,登山そのものを目的とするモン=ヴァントゥー登山を行った。古代の復興,人文主義の抬頭するなかで, ジオット (1266ごろ~1337)は,その師チマブエとともにルネサンス絵画・彫刻・建築に,ビザンツ美術や ゴシック美術 を排して,人間愛に満ちた,自由な作風を導入した。
    15世紀になると,...

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