林竹二の授業で「学ぶ」こと

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    レポート林竹二教育学授業

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    教育学学ぶ林竹二

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     林竹二のビデオを見て、さらに調べてみたいと感じたため、このテーマを選んだ。
     授業の考え方について、自分の考えていたことにヒントを与えそうな題材だったからだ。
     それについては林竹二の考え方を自分の解釈で整理してから述べることにしたい。
     林竹二の教育はやはり湊川の実践に大きな影響を受けていることを感じた。
     湊川は学校教育から切り捨てられてきた無残な子どもたちから成る高校であったが、そこには「学ぶ」ことへの激しい飢渇があったという。
     ほとんどの学校はこの飢渇を満たすことなく、戦前とほとんど変わらずに行政が教えなければならないとしたことをそのまま教え、試験で評価するという、“教師”でなくても行うことができるような性質の教育をしている。
     この状態は、いわゆる頭のいい子でさえも不幸にしているのではないかと私は考える。
     学校で教えられたことを習得することに一生懸命になり、そのまま大学あるいは大学院まで上がる。
     そのときになって自分が「学ぶ」ことをいかにしなかったかに気付く。
     あるいは、もっと不幸にも一生涯にわたって気付かずに暮らすこともありうる。
     仮に気付くことができたとしても過去の教育が染み付いてしまって、本当に「学ぶ」ことが困難な状況にいるに違いない。
     そのような人達が教育を作っているのだから、「学ぶ」営みが軽視され続けているのも仕方がないことかもしれない。
    ここでいう「学ぶ」とは世間(現在の日本では、おそらく行政の考え方か欧米諸国の真似に当たると思うが)がよいとするもの、知る必要のあるとされるものを単に「覚える」ことではない。
     質問によって人の意見を引き出した上で徹底的に吟味にかける、というソクラテスの考え方そのものを意味している。
    現在の大学を含めそれ以前の教育の実態から考えると、「学ぶ」ことを引き出す営みは、ほとんどされていなかったと思われる。

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    林竹二のビデオを見て、さらに調べてみたいと感じたため、このテーマを選んだ。
    授業の考え方について、自分の考えていたことにヒントを与えそうな題材だったからだ。
    それについては林竹二の考え方を自分の解釈で整理してから述べることにしたい。
    林竹二の教育はやはり湊川の実践に大きな影響を受けていることを感じた。
    湊川は学校教育から切り捨てられてきた無残な子どもたちから成る高校であったが、そこには「学ぶ」ことへの激しい飢渇があったという。
    ほとんどの学校はこの飢渇を満たすことなく、戦前とほとんど変わらずに行政が教えなければならないとしたことをそのまま教え、試験で評価するという、“教師”でなくても行うことができるような性質の教育をしている。
    この状態は、いわゆる頭のいい子でさえも不幸にしているのではないかと私は考える。
    学校で教えられたことを習得することに一生懸命になり、そのまま大学あるいは大学院まで上がる。
    そのときになって自分が「学ぶ」ことをいかにしなかったかに気付く。
    あるいは、もっと不幸にも一生涯にわたって気付かずに暮らすこともありうる。
    仮に気付くことができたとしても過去の教育が染み付いて..

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