自分の教師像の考察

会員540円 | 非会員648円
ダウンロード カートに入れる
ページ数3
閲覧数1,024
ダウンロード数8
履歴確認

    ファイル内検索

    資料紹介

     自分は『二十四の瞳』の大石先生や『山びこ学校』の無着成恭、金八先生をそのまま模倣するような教師になるつもりはない。
     だからといって、情熱や愛情に欠けていて、単に文部科学省の方針にさえ従っていればよい、といった類の教師になりたい、というわけではない。
     子供が道徳的に正しく、楽しく暮らせる学校にすることが教師の使命の一つとして考えるなら、前述のようなことは大切だし、必要だろう。
     しかし、教育はやはり自分の経験が活かされていなければ生き生きしてこないし、生徒にも伝わらないものだと思う。
    自分は映画やテレビに左右されることがないような、要するに自分の経験・認識に基づいているような教育を目指したい。
     過去に教えてもらった先生達の授業は、このように考えるようになった主な理由となっている。
     中学で教わった国語のある先生は、金八先生を核として教師を続けているらしかった。
     当時この先生の評判は、保護者の方々にとっては非常に良いものであった。
     しかし、あまり良い先生だと思っていなかった生徒も多くいた。
     この先生の授業が、単なる「お説教」に思えるもので、終わるときにはうんざりしている、というようなことが多かったからだ。
     自分はその先生を嫌っているわけではないが、情熱を注ぐだけでは生徒達の心に届かないことがあるらしい。
     現在では、生徒の最近の傾向に合わせて自らの経験とリンクさせながら、授業をやっているそうだ。
     生徒達の話では、ちょっとしたギャグも実感がこもっていて楽しい、という。
     このような話を聞くと、自己の経験や知識が生き生きと活かされなければ良い教師とはいえない、と思わずにはいられない。
     しかし、あまりに経験重視になるとかえって生徒達に自分の意見の押し付けになることがある。

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    自分は『二十四の瞳』の大石先生や『山びこ学校』の無着成恭、金八先生をそのまま模倣するような教師になるつもりはない。
    だからといって、情熱や愛情に欠けていて、単に文部科学省の方針にさえ従っていればよい、といった類の教師になりたい、というわけではない。
    子供が道徳的に正しく、楽しく暮らせる学校にすることが教師の使命の一つとして考えるなら、前述のようなことは大切だし、必要だろう。
    しかし、教育はやはり自分の経験が活かされていなければ生き生きしてこないし、生徒にも伝わらないものだと思う。
    自分は映画やテレビに左右されることがないような、要するに自分の経験・認識に基づいているような教育を目指したい。
    過去に教えてもらった先生達の授業は、このように考えるようになった主な理由となっている。
    中学で教わった国語のある先生は、金八先生を核として教師を続けているらしかった。
    当時この先生の評判は、保護者の方々にとっては非常に良いものであった。
    しかし、あまり良い先生だと思っていなかった生徒も多くいた。
    この先生の授業が、単なる「お説教」に思えるもので、終わるときにはうんざりしている、というようなことが多か..

    コメント1件

    romi1611 購入
    参考になりました。
    2007/04/18 19:40 (9年7ヶ月前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。