私の学校改善案〜学校評価制度を中心にして〜

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    資料紹介

    私は学校評価制度が、学校を現状よりもよくする手立てとして効果的であると考える。というのも、学校の中での子どもの学習権を守るために、父母住民の教育要求・参加権を生かす道として考えられるし、また父母住民から教育行政への、そして教育行政から学校への影響力を増大させることができる取り組みでもあるからだ。そうすることで、学校、父母住民、教育行政の三者が、より拮抗的に作用し、生徒にとって何が良いことであるかを共同して議論しやすい環境を作り出すことができると考える。
    しかし、その評価の基準の制定の仕方を誤ってしまっては、上記のような効果は見込めない。というのも、例えば評価をするのが教育行政のみで、父母住民の意見や現場の教師の意見をとりいれないものにした場合、教育行政の力が圧倒的に強くなり、恐怖政治の様相を呈することになってしまう。また、学校評価があまりにも大きな利益と直結する(評価がよければ補助金の大幅な追加があるなど)ものであった場合、前述のような目的意識がうすれ、ただ評価を上げるためだけの学校運営にはしってしまうのも危険である。
    では、学校評価をする際にどのようなことに気をつけて行えば学校を今より改善し、生徒にとってより良い学習環境を提供できるようになるだろうか。本レポートでは学校評価の現状を理解し、その問題点や基準を作成する際の注意点などを指摘し、最後には効果的なシステムを考えてみたい。
    「資料で読む教育行政」の中で以下のような記述がある「学校評価とは、各学校が設定した教育目標を達成するために行うすべての活動を対象として、これらを一定の基準に基づき、客観的かつ総合的に評価し、改善の方向や改善点を明らかにすることである。」この記述は非常に概念的であるから、その実行に際しての議論が必要になることは明らかである。

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    私の学校改善案―学校評価制度を中心にして―
    私は学校評価制度が、学校を現状よりもよくする手立てとして効果的であると考える。というのも、学校の中での子どもの学習権を守るために、父母住民の教育要求・参加権を生かす道として考えられるし、また父母住民から教育行政への、そして教育行政から学校への影響力を増大させることができる取り組みでもあるからだ。そうすることで、学校、父母住民、教育行政の三者が、より拮抗的に作用し、生徒にとって何が良いことであるかを共同して議論しやすい環境を作り出すことができると考える。
    しかし、その評価の基準の制定の仕方を誤ってしまっては、上記のような効果は見込めない。というのも、例えば評価をするのが教育行政のみで、父母住民の意見や現場の教師の意見をとりいれないものにした場合、教育行政の力が圧倒的に強くなり、恐怖政治の様相を呈することになってしまう。また、学校評価があまりにも大きな利益と直結する(評価がよければ補助金の大幅な追加があるなど)ものであった場合、前述のような目的意識がうすれ、ただ評価を上げるためだけの学校運営にはしってしまうのも危険である。
    では、学校評価をする際...

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