ボッティチェリの植物表現

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    ボッティチェリ《春 ラ・プリマヴェーラ》について
    植物のモチーフに惹かれて、ボッティチェリの《春》を題材に選んだ。ただ背景として描かれるのではなく、主役と調和して絵を惹き立てる植物が好きだ。
    フローラの吐息と共に零れ落ちる花々は、まるでそのひとつひとつが彼女の体の一部に見える。彼女の本性は「ヒト」ではなく「花」なのではないか。受動的であった植物が、能動的に動き出した瞬間を捉えていると感じた。
    そしてその中に描かれた、花々をまき散らす女神フローラは、他の女神達の顔とは違ってリアルで人間味がある。何故ならモデルがいたのだという。そのモデルと考えられるのが、彼らのパトロンで豪華王と呼ばれたロレンツォ・デ・メディチの美男で有名だった弟のジュリアーノ・デ・メディチの恋人、シモネッタ・ヴィスプッチである。夭折したシモネッタと、一瞬の春を重ね合わせると、物悲しくも見えた。
    ■サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli
    1444 or 1445年~1510年5月17日・イタリア・初期ルネサンス
    本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ (Alessandro di Mariano Filipepi)。ルネサンス期のイタリアのフィレンツェ生まれ。皮なめし職人の子供として生を受け、生涯独身を通す。15世紀後半、初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派の代表的な画家。
    画僧フィリッポ・リッピ、及び当時の花形工房であったヴェロッキオの工房で修行を積み、メディチ家の庇護を受ける。異教神話を題材に愛や美を寓意化した甘美な大作を描いて、人々を魅了した。
    1470年に制作された商業裁判所のための寓意画《剛殺》が初作品。以降約20年間にわたり、時の権力者メディチ家の支配下にあったフィレンツェで第一線の画家として活躍。
    1481年ローマに呼ばれシスティーナ礼拝堂の壁画制作に携わる。同年代には《春 ラ・プリマヴェーラ》や《ヴィーナスの誕生》など異教的な神話を題材にした傑作を残す。
    メディチ家当主ロレンツォ・デ・メディチの死後、ドメニコ会の修道士サヴォナローラがフィレンツェの腐敗を批判し、市政への影響力を強めると、ボッティチェリも心酔し、神秘主義的な宗教画に転じる。しかしこの時期以降の作品は生彩を欠くとして評価は高くない。1501年頃には制作を止める。享年65歳。
    ■春 ラ・プリマヴェーラ La Primavera
    1482年・315×205cm・テンペラ、板・ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
    ボッティチェリ随一の代表作。ヴァザーリにより題名は付けられた。
    シモネッタとロレンツォの末弟ジュリアーノとの恋を祝福し、幾数もの花と花言葉を添えて、カステルロの別荘のために描かれた。詩人ポリツィアーノが書いた長編詩『ラ・ジョストラ(馬上槍試合)』の一節からの影響を受けている。
    「彼女は純白で衣服も白地、そこにはバラと草花が描かれ、黄金の頭部から編まれた髪は、慎ましくも高貴な額にしなだれかかる。その瞳は甘き青色に輝き、そこにキューピットが自らの炎を隠している。」
    ポリツィアーノの長編詩『ラ・ジョストラ』の一節より。
    『ラ・ジョストラ』は、1475年、騎芸競技会(ジョストラ)で優勝したロレンツォの弟ジュリアーノの武勇と美しいシモネッタを讃えた作品で、ボッティチェリはこの詩の世界に相当心惹かれていたようだ。しかしこの翌年、シモネッタは病に倒れ、その後ジュリアーノも策謀によって夭折してしまう。《春》には、そうした背景による憂愁がただよい、またこの時代の影の部分も描き込

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    ボッティチェリ《春 ラ・プリマヴェーラ》について
    植物のモチーフに惹かれて、ボッティチェリの《春》を題材に選んだ。ただ背景として描かれるのではなく、主役と調和して絵を惹き立てる植物が好きだ。
    フローラの吐息と共に零れ落ちる花々は、まるでそのひとつひとつが彼女の体の一部に見える。彼女の本性は「ヒト」ではなく「花」なのではないか。受動的であった植物が、能動的に動き出した瞬間を捉えていると感じた。
    そしてその中に描かれた、花々をまき散らす女神フローラは、他の女神達の顔とは違ってリアルで人間味がある。何故ならモデルがいたのだという。そのモデルと考えられるのが、彼らのパトロンで豪華王と呼ばれたロレンツォ・デ・メディチの美男で有名だった弟のジュリアーノ・デ・メディチの恋人、シモネッタ・ヴィスプッチである。夭折したシモネッタと、一瞬の春を重ね合わせると、物悲しくも見えた。
    ■サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli
    1444 or 1445年~1510年5月17日・イタリア・初期ルネサンス
    本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ (Alessandro di Mar..

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