『会津藩はなぜ「朝敵」か 幕末維新史最大の謎』についての書評

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    資料紹介

    この本は幕末、および明治維新における敗者、会津藩の視点から書かれたものである。内容は要約すると、以下のようなものである。明治維新は二つの顔を持っていると考える。戊辰戦争で勝った方の顔と、負けた方の顔である。維新史は勝った方の顔ばかり出てきて、負けた方はあまり出てこない。会津藩は負けた方なのでほとんど触れられなかった。そして勝った方だけが強調されて、明治維新は薩長土肥がやったのだと国民に教え込まれた。ここに明治維新の歪みがある。藩閥政治は自分たちを正当化することによって、その地位を守ってきた。その犠牲になったのは会津である。
    明治維新は古の天皇の政治に復すという主張が強く出される。それと同時に王政復古にはどの藩が貢献したとか、勤皇であったのは何藩であったかが強く主張された。いわば王政復古の歴史観、あるいは勤皇史観という歴史観が明治維新史観を作り上げ、それが明治維新の成果であるといわれた。ここから天皇の軍隊は官軍、それに反対したのは賊軍という官賊史観が生まれ、これによって会津は賊であると評価されてしまった。会津藩は京都で存分に働き、孝明天皇から絶対の信頼を勝ち得た。その会津が朝敵とされてしまったのはなぜか。それは密勅である。公家の岩倉具視と薩摩の大久保利通、長州の木戸孝允らが幕府を倒し、会津を討伐する秘策として思い付いたのが密勅だった。幕府、会津は朝敵なので追討せよ、という天皇の言葉である。それを偽造したのだ。効果は抜群であった。
    常識的に考えても十五、六の明治天皇の意思としてこのようなものが出てくるはずが無い。天皇はまだ政治的にはいわば操り人形である。天皇の意思でもない密勅を唯一の武器として討幕が行われてしまう。だから戊辰戦争は、会津側にとっては全く迷惑な話であった。

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    書評史学朝敵

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    会津藩はなぜ「朝敵」か
    ~幕末維新史最大の謎~
    著者 星 亮一
    についての書評
    この本は幕末、および明治維新における敗者、会津藩の視点から書かれたものである。内容は要約すると、以下のようなものである。明治維新は二つの顔を持っていると考える。戊辰戦争で勝った方の顔と、負けた方の顔である。維新史は勝った方の顔ばかり出てきて、負けた方はあまり出てこない。会津藩は負けた方なのでほとんど触れられなかった。そして勝った方だけが強調されて、明治維新は薩長土肥がやったのだと国民に教え込まれた。ここに明治維新の歪みがある。藩閥政治は自分たちを正当化することによって、その地位を守ってきた。その犠牲になったのは会津である。
    明治維新は古の天皇の政治に復すという主張が強く出される。それと同時に王政復古にはどの藩が貢献したとか、勤皇であったのは何藩であったかが強く主張された。いわば王政復古の歴史観、あるいは勤皇史観という歴史観が明治維新史観を作り上げ、それが明治維新の成果であるといわれた。ここから天皇の軍隊は官軍、それに反対したのは賊軍という官賊史観が生まれ、これによって会津は賊であると評価されてしまった。会津...

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