アイデンティティにおける日本とボディにおける社会化の違い

閲覧数1,891
ダウンロード数0
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員660円 | 非会員792円

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    「アイデンティティにおける日本とボディ社会における社会化の違い」
    まず、ボディ社会におけるアイデンティティの特徴といえば、モラレの存在である。しかし、日本にもモラレに似たようなものがある。それは、英才教育である。英才教育とは、
    「すぐれた才能をもつ者に対する特別な教育」(広辞苑)とあるが、現実には、すぐれた才能をもっていなくても、お受験という言葉が代表されるように、我が子には是非とも○○の能力を身につけてもらいたいと望み、そのためのカリキュラムを組んでいる英才教育が多いのではないだろうろうか。その例として、子どもを進学校に行かせ、良い会社に勤められるようにするものや、スポーツを小さい頃からやらせ、プロにさせる。というようなエリートコースを歩ませるために親は、必死に子どもを教育するというものがある。では、どこがモラレと英才教育が似ているのだろうか。それは、他者の敷いたレールに沿って歩む人生である。具体的に述べると、英才教育では、他者(親)が将来子どもに期待するレール、例えば前述のとおりエリートコースというような親の期待であるレールを敷き、子どもがそのレールに沿って人生を歩むというものであ...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。