律令的土地制度の崩壊

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    古代国家の中央集権的支配体制は律令法典に基づき運営されていたことから、中央集権的統治制度を律令制と呼称するが、六世紀以前の日本は、各々の豪族が土地と民衆を直接支配していた。六四六年の大化の改新後、唐律令を手本に豪族中心の氏姓制度から皇室中心の律令制へと移行する政治改革がなされた。七〇一年(大宝元年)に大宝律令が制定され、律令政治の基本法典となって律令制は完成された。律令は儒教や法家思想に基づく成文法で、律は刑罰法、令は行政規定の意である。
    大宝律令の制定により律令国家体制が確立され、七一〇年の平城京遷都後、本格的に展開した。天皇を主君とし、特権的支配階層の律令貴族が官僚的政治機構を通して直接人民を支配し、班田収授法に基づく貢納を国家財政としてその運営に当てた。それに伴い豪族の土地・民衆支配は否定され、中央政府による統一的な土地・民衆支配が実現した。その基盤となったのが班田収授や戸籍・計帳制度である。六年毎に戸籍調査を行い、政府から受田資格を得た貴族や人民へ田が班給され、売買は禁止、死後は返納させた。また、班田農民には租・庸・調の納税義務が課せられ、班給された田の収穫から租が徴収された。..

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