唯識思想における認識の構造について

会員540円 | 非会員648円
ダウンロード カートに入れる
ページ数4
閲覧数248
ダウンロード数0
履歴確認

    ファイル内検索

    資料紹介

    仏教の唯識思想における認識の構造について論ずる。
    まず、三性説、阿頼耶識といったものを取り上げ、認識の仕組みを説明する。
    さらに、その考えを用いて、ニート問題など、現在の問題について意見を述べる。

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    唯識思想における認識の構造について
    はじめに
     唯識思想の認識には、知覚できる対象は実在でなく、識というものによって作り出されたものだということ、それにもかかわらず、他者と共有して知覚できる部分もあるという考え方がある。そのような考え方を、日常生活における認識について適用すると、どうなるだろうか。
     そこで、1章では、唯識における認識の構造について、調べてみたい。2章では、それをふまえて、日常生活での認識の問題と絡めて、私の意見を述べていきたい。
     
    1、唯識思想における認識の構造
    唯識思想には、三性説とよばれる説がある。三性とは、遍計所執性、依他起性、円成実性の3つを指す。このうち、遍計所執性は迷いの世界、円成実性は、悟りの世界を表す。依他起性は、どちらともいえないものである。
     これはどういうことだろうか。これは、幻の譬喩によって説明される。幻術師は、木片や石などに幻術をかけ、それを象や馬に見せるという。この場合、遍計所執性は、影像である象や馬にたとえられ、円成実性は、木片や石にたとえられる。すなわち、本来の姿が、円成実性であり、真実でない、幻にすぎないものが遍計所執性であることに..

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。