連関資料 :: 自殺論

資料:7件

  • デュルケームの自殺からみた日本における自殺の特徴
  •  まずデュルケームの自殺論における「自己本位的自殺」と「集団的自殺」の類型を説明し、次に日本における自殺の推移の特徴をデュルケームの自殺論に関係させて説明していく。  まず自己本位的自殺についてみていく。個人の属している集団や他人との結びつきが弱まることで、常軌を逸した個人化が進んでいくことになる。このことで個人は何の役にも立たない存在であると感じてしまいこれがさらに深化していくことになり、自己の殻に閉じこもったり、孤立化することになる。こうして自分の生に存在理由を見出すことができなくなったため起こる自殺のことを自己本位的自殺という。  次に集団本位的自殺についてみていく。これは個人化が十分に行われない場合に起こる自殺で3つの型に分類される。1つ目は「義務的集団本位的自殺」と呼ばれるもので、個人が集団の中に埋没してしまいその結果として起こる自殺である。2つ目は「随意的集団本位的自殺」と呼ばれるもので、義務的・強制的に行われるものではなく自発性を持つものをいう。例としては日本の武士の切腹などが挙げられる。3つ目は「激しい集団本位的自殺」と呼ばれ、賞賛されたり願望の現われという形で行われる自殺である。  次に日本における自殺の推移の特徴についてみていく。  日本の自殺の推移には3つの大きな山がある。  1つ目は1950年代後半にある。この時期は日本は敗戦から復興してきている時期でありそれにより戦時統制政策から解放された。つまり人々の活動が無規制になり欲求も無規制になった。こういったことから1950年代後半の自殺の増加はアノミー的自殺と考えることができる。
  • レポート 社会学 デュルケーム 自殺論 日本の自殺の推移 バブル経済
  • 550 販売中 2005/12/13
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  • 自殺を学ぶ人へのメモ
  • 自殺論を学ぶ人へのメモ 現在、日本の自殺死亡者数は年間3万前後を推移している。厚生労働省による『人口受動統計特殊報告』が記録していた1950年の自殺死亡者数は年間で16311人、50年の間に自殺者はおよそ2倍にまで増えている。この増加傾向は戦後から続くものであり、増減を繰り返しつつも54年~60年の間に自殺者数2万人を、最近では3万人を超える数が自殺死亡者として表れている。
  • 日本 経済 社会保障 社会 社会学 自殺 健康 問題 家族 労働
  • 全体公開 2010/07/19
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  • ネット心中とデュルケムの自殺
  • 社会学概論 ネット心中 目的 自殺には様々な形態がある。一人でする場合もあれば心中のように複数でおこなう場合もある。首つり、飛び降り、服毒など手段も様々であるし、リストラ、貧困、病苦など原因も様々である。そんななか、インターネットが社会で広く利用されるようになり、2000年ごろから「ネット心中」なるものが出てきた。ネット心中とは、インターネット上の自殺関連掲示板で、一緒に死んでくれる人を募集し、見ず知らずの赤の他人が何人か集まり自殺するというものだ。本レポートでは、デュルケム(1897)の自殺論を参考にして社会学的な観点から、ネット心中がなぜ起こるかについて考察する。 デュルケム(1897)は、自殺の理由を説明する上で、個人の性質や動機だけでなく個人を超えて個人に影響をあたえるもの、すなわち「社会的潮流」の存在を強調している。社会的潮流がある一定の人々を自殺へと促しているという。 また、デュルケム(1897)は背後にある社会的潮流に従って自殺を3つに分類している。集団本位的自殺、自己本位的自殺、アノミー的自殺の3類型である。集団本位的自殺とは、集団の規制、価値観に絶対服従を求められることから生じる自殺である。自己本位的自殺とは、社会や集団の統合が弱まり、個人の孤独化が進むために生じる自殺である。アノミー的自殺とは、個人の欲求を規制する社会規範が緩んだことから欲求が増大し、そこから不満が生まれ虚無感から生じる自殺である。 募集する心境と集まった集団の力  ネット心中が自殺である以上、一定の人々をネット心中へと追い込む社会的潮流があると考えられる。日本社会という集団を対象として、その社会的潮流がなんであるかを考える。 ネット心中は、過去にあった他の手段をつかった自殺や心中とは違う性質をもっている。ネット心中が特異なのは、一緒に死んでくれる人を募集することだ。募集する理由としてよく言われるのは「一人で死ぬのは淋しい」「一緒にすれば決行できる。自分だけなら引き返してしまうかもしれない」などである。ここに見られるのは、一人では死ねないほどの孤立感(これについては後で述べる)と、自分だけでは引き返すほど自殺の動機が弱いこと、にもかかわらず未遂に終わらせず確実に自殺することである。 動機が弱いのに確実に自殺するのを求めるのは矛盾するようにも思える。動機が弱いなら自殺しなければいいと思うかもしれない。確かに、ネット心中未遂者からは死にたいという意志の強さは感じられないが、普通に生きてはいられないほど“生き苦しさ”、“生きづらさ”が感じられる。 ネット心中で重体になった大学生は「あと40年同じ生活をするのは苦しい」と言ったという。それに対して池田清彦は次のように言っている(朝日新聞夕刊2003年4月24日)。「甘ったれんじゃない、と私は思う。さしたる才能もない人間があと40年も平凡に生きられたとして、それ以上どんな人生を望むというのかね」 池田がいうことはもっともだが、この大学生は平凡さや退屈さ故に自殺したのではなく、彼にとって生きること自体が相当苦しかったのではないかと思う。死にたいという強い意志があるわけではないが、生きているには苦しすぎて、死ぬことも生きることもできないような心境がうかがえる。最近の自殺未遂者は「死んでも死ななくても、どっちでもよかった」というようなことをよく言うが、これもそのような心境を表しているのではないか。 このように、個人的な自殺の動機は弱いが、生きるのに耐えられず自殺を考える。そして動機が弱いため一人では実行できず、確実に自殺する方
  • 社会学 自殺 デュルケム ネット 心中
  • 550 販売中 2008/01/21
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  • 社会学史(近代)−デュルケム自殺について
  •  ここではデュルケムの「自殺論」についてまず内容をまとめ、その後に具体例として池田小児童殺傷事件とネット自殺について取り上げ、デュルケムとの関連性とその今日的な意義を考えていこうと思う。  デュルケムは自殺を単に個人的問題として扱うのではなく、その自殺を引き起こす様々な社会的要因について考察した。彼は自殺を社会の連帯が弱まり、個人が孤立してしまい、無気力になり引き起こされる「自己本位的自殺」、反対に社会が強い結合度を持って個人に自殺を強制させたり、そのような状況に追い込まれ自殺させたりする「集団本位的自殺」、社会の規範が崩壊すことにより、個人の欲望が無限に増大し、そのむなしさから自殺を引き起こす「アノミー的自殺」、反対に欲望に対する規制が強すぎるため絶望感が募って自殺を引き起こす「宿命的自殺」の4種類に分類した。また彼は「自殺論」に先立つ彼の著書「社会的方法の基準」のなかで「社会的事実を物のように考察しなければいけない」と書いており、彼は自殺にたいしても―「物」という言い方が適切だったのかは分からないが―極めて冷静で客観的に、先入観や予断を拝して観察しようとした。例えば、自殺と宗教の関係について彼はプロテスタント諸国で自殺が多く見られ、カトリックの国家では相対的に自殺の発生率が低い、という事実をまず統計から見出し、そこからこの事実について考察し、この事実は両方の教義とも自殺を禁じている、ということから教義による違いではなく、プロテスタントではカトリックと比較して統合の度合いが弱く、そのため孤立が強まり自殺が多く引き起こされると結論づけている。つまり、彼は社会的統計によりある傾向を取り出して、そこからなぜそのような傾向になるのか、といったことを様々な仮説を立て、冷静に考察しているのである。
  • レポート 社会学 デュルケム 自殺の特徴
  • 550 販売中 2005/11/18
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  • 夏目漱石『こころ』と現代社会の自殺
  • 夏目漱石『こころ』と現代社会の自殺論                                                                                 自分が教師だとして、夏目漱石の「こころ」でどのようなことを教えたいかについて考察してみる。 「こころ」という誰もが知っているであろう名作の解釈うんぬんよりも、「K」と「先生」の「自殺」から、広く自殺一般、現代における生の解釈の多様性について生徒に考えさせてみたい。そこから、本当に命の価値は希薄になったのか、救いはあるのかということについて「こころ」を題材に生徒に考えさせたい。 また、ここでは私の主観でそれの是非を問いたり警鐘を鳴らすとかいうものではなく、普段あまり意識しない生死の問題について少し立ち止まって考えることのできる時間を高校生くらいの年齢に与えられればいい。もちろん大学生である自分も、中身は無力な高校生であることくらい自覚しているが、きっかけを作ることくらいはできるだろうと思う。 現在日本では、年3万人、一日にして約100人が自殺しているという統計があるが、これはあくまで大本営発表
  • 自殺 夏目漱石 こころ レポート
  • 550 販売中 2009/01/19
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  • 教育人間学概論 暴力のありようが人間形成に与える影響 + デュルケーム自殺の簡単なまとめ
  • 暴力のありようが人間形成に与える影響  「私」という存在自体が暴力になるとは考えたことがなかった。しかし逆を考えれば、「ある人」がいるだけで私は苦痛に感じることがある。私にとって「ある人」の存在が暴力なのである。私はある人のすること、考え方、話し方すべてが暴力に感じることがある。私は自分の暴力性を抑えるために、ある人から離れようとするが、ある人から近づいてくるのである。では、近づいてみようと試みるがやはり、精神的に耐えられないのである。ある人に対して無関心になれば、気にもならないし、平常心でいられるはずである。しかしながらある人の存在は私の中で一定の部分を占め、心の中に居座っているのである。
  • 社会 道徳 自殺 家族 暴力 人間 集団 言葉 自己 権利 教育
  • 550 販売中 2010/03/22
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