レトリック理論 ―修辞学と近代―

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レトリック理論 ―修辞学と近代― 「修辞学」のイメージ 「修辞学」という名称は、「レトリック」という言葉よりもピンとこないことが実感としてわかる。「レトリック」と英語で言うと、文彩や言語表現の一つとして何となくイメージが湧くかもしれないが、「修辞学」はどうであろうか。「哲学」と同じように言葉自体はしっていても、自分が定義できるというとそうでもないのが現実ではないだろうか。これはそうした分野をきちんと紹介してこなかった日本の「洋学」受容のあり方にばかり責任があるわけではない(もちろんそれも否定できないが)。実のところ、本家のヨーロッパでも事情はさして変わらないようである。「修辞学」というものの全容を見えにくくしている原因を、日本の特殊事情ばかりに帰すことはできない。つまりは修辞学を葬ったのは「近代」という時代なのである。したがって、その「近代」を駆け足で受容しようとした日本に、その修辞学がうまく伝わっていないというのは、当然といえば当然だろう。しかし、近代という時代そのものが疑問視される現状では、その反動として、そこで無視されていた修辞学の復権が叫ばれることになった。思想史の中での死者の群れが、ここでこぞって息を吹き返す。 「修辞学」の古代・中世における役割・特徴 修辞学について整理すると、古代・中世の教育規範である自由七学芸のうち、文科系の三学(文法学・論理学・修辞学)の一つであり、中世では、理科系の四科(算術・幾何学・音楽・天文学)に比べて、言語を扱う三学が優位にあったため、修辞学の総体的な地位も相当に高く評価されていた。修辞学と訳されるRhetoricaには、雄弁術という訳語もあるように、基本的には演説の技術である。この演説技法は、単に言葉の洗練を競うものではなく、如何に聴衆を納得させて自分の説の味方に付けるかという、説得の技法であり、すぐれて政治的なものであった。そのために雄弁家は、聴き手となっている大衆の水準や雰囲気を掴んで、主題をその場その場で臨機応変に替えるような必要もあった。そこで修辞学の中では、聴衆の心理状態の操作、いわば一種のデマゴギーが大きな位置を占めている。さらに聴衆の説得のためには、聴衆がどのような社会的通念を抱いていて、どの範囲の議論までなら受け容れられる可能性があるかといったことにも通じていなければならない。通信・情報機関の発展していない中世・古代においては、アドリブ的な雄弁が求められ、修辞学の役割はきわめて高かったといえる。 こうして総合性に富む修辞学は、コミュニケーション論であり、ある種の社会心理学、言ってみればカルチュラル・スタディーズのような発想を含んでいると言ってもいいだろう。それだけではない。演説を魅力的に見せるには、述べられる話題そのものの構成の技術はもとより、演者の身ぶり・手振り、発声法なども検討されなければならない。こうして、修辞学は、言語論、あるいは詩学ないし美学であり、また演技論でもあるのだ。こうして、近代ではさまざまに分化した学科(政治学、社会学、言語論、心理学、美学、etc.)が、修辞学の内で渾然一体となっていたわけである。近代における科学以前の総合概念がここにはあり、中世において『万能人』レオナルド・ダヴィンチが尊敬されていたように、「何でもできる」ということが重要であった時代背景が良くわかる。 発見・配列・呈示・記憶・演示という修辞学の五分野が確立したのものこの辺りである。修辞学の一部門である「発見」とは、主題を選別し、論題を決定するという技法を指すが、ここで大きな役割を果たすのが、「トポ

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アップロード日 2007/02/06
by namena
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    最新更新:2007/02/13 23:46
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