オタクと腐女子

閲覧数2,572
ダウンロード数3
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    僕の周りにはオタクも腐女子もいるが、一見どちらも似た気質を持っているように見えて、実は両者の間に決定的な深い溝のようなもので区切られた互いのテリトリーを持っているようだ。互いのテリトリーは交わる部分を持たない。かといって共通する何かを感じるということを否定することはできない。オタクと腐女子の間で、どういうところに類似点があり、また逆にどういうところに相違点があるのだろうか。
    まず類似点であるが、これは僕個人の主観的な意見なのだが、どちらも聡明であるということだ。もちろん中には例外もいるだろうが、周りにいる人間を思い浮かべてみてもオタクや腐女子に属する人間の多くはみな聡明で、聡明な人間の多くはみなオタクか腐女子である。ここでいう聡明は、当然学力とは関係のないもので、客観的だということだ。盲目でないと。ゆえに夢や希望といった隠蔽された幻想に踊らされることなく、生身の体で社会という様々なものが吹きすさぶ(またそこでは盲目な人間が権威を振るっている)中を生きるための防衛手段として、みなオタクや腐女子になるのではないだろうか。夢や希望の代わりに妄想を着るのだ。「腐女子化する世界」で杉浦由美子が、腐女子は見た感じは至って普通で、むしろ容姿は端麗で趣味を除いたらただのキレイな女性という人が多いとか何とか書いていたが、そんなのは嘘っぱちだと思う。やはりオタクをはじめ腐女子にも、どこか陰鬱とした、冷めた空気が漂っているのを確認することができる。それはひとえに無知でないがために幻想から覚めたことによるものなのだろう。両者は盲目で無知なるものにその種を植え付けられ、知らず知らずのうちに開花した(社会的価値観における)負の遺産である。
    次にオタクと腐女子の相違点を考えてみるが、その活動や趣味嗜好の範囲がきっぱりと断絶されているため、その数はとても多い。というよりも、ある根本的な部分でのみ両者は重なっているものの、それ以外では完全に異なるフィールドに居を構えている。
    まず最も顕著な違いとして、オタクには男性が、腐女子には女性が多いという傾向がある(腐女子は女子であるから女性のみを指す言葉であり、「腐女子には女性が多い」という文はおかしいかもしれないが、男性にもやおい的な視点を持つ人もいるし、自身を男性であるにも関わらず腐女子とする人もいるし、女性でも腐女子ではなくオタクだと自認する人もいるため上記のように書いた)。オタクは一般的にフィギュアやグッズなど蒐集といった「所有」に熱心で、一方腐女子は漫画やアニメに登場するキャラクターの「関係性」にのめりこむものとされているが、これはすなわち男性性と女性性の象徴に他ならないことが起因しているのだろう。何という本だったかは憶えていないがこんな記事を読んだことがある。
    『あるカップルが喫茶店でコーヒーを飲んでいるときに、店の前を一組のカップルが通り過ぎた。これを見たカップルは二人とも通り過ぎたカップルの女性のほうに目がいった。そのとき男性は「キレイな女性だな」と思い女性は「あの女性はなんであの男の人と付き合ったのだろう」と思った。』
    これは男性と女性の考え方の違いを鋭く捉えた文章だと読んだときに思ったのだが、この記事からもわかるように、男性は所有されるべき対象としての女性に注目し、女性はそのカップルのもつ物語と二人の関係に注目した。これはオタクと腐女子に性別によってどっちに転がるかという傾向があることを裏付ける。
    オタクも腐女子も妄想癖がある場合が多いが、所有と関係という嗜好の差によってその妄想の内容にも歴然とした違いがある。
    妄想は

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    僕の周りにはオタクも腐女子もいるが、一見どちらも似た気質を持っているように見えて、実は両者の間に決定的な深い溝のようなもので区切られた互いのテリトリーを持っているようだ。互いのテリトリーは交わる部分を持たない。かといって共通する何かを感じるということを否定することはできない。オタクと腐女子の間で、どういうところに類似点があり、また逆にどういうところに相違点があるのだろうか。
    まず類似点であるが、これは僕個人の主観的な意見なのだが、どちらも聡明であるということだ。もちろん中には例外もいるだろうが、周りにいる人間を思い浮かべてみてもオタクや腐女子に属する人間の多くはみな聡明で、聡明な人間の多くはみなオタクか腐女子である。ここでいう聡明は、当然学力とは関係のないもので、客観的だということだ。盲目でないと。ゆえに夢や希望といった隠蔽された幻想に踊らされることなく、生身の体で社会という様々なものが吹きすさぶ(またそこでは盲目な人間が権威を振るっている)中を生きるための防衛手段として、みなオタクや腐女子になるのではないだろうか。夢や希望の代わりに妄想を着るのだ。「腐女子化する世界」で杉浦由美子が、...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。