外国史1

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     ハプスブルク家は父フリードリヒ3世、息子マクシミリアン1世の結婚政策により、戦わずして権力と領土を増やし、孫のカールをスペイン王にさせることに成功した。さらにカールの妹マリアとボヘミア・ハンガリーの王子ラヨシュと結婚させ、弟フェルディナントとラヨシュの妹アンナと結婚させた。バルカン半島を北上するオスマン帝国とモハーチの戦いにおいてハンガリー国王ラヨシュ2世が戦死してしまう。このときボヘミアの貴族はハプスブルク家のフェルディナント1世を国王として承認したが、ハンガリーの土着貴族マグナートの多くが、ヤノーシュ=サポヤイを擁立して、ハプスブルク家のハンガリー支配に異議を唱え、さらにオスマン帝国に援助を請うた。オスマン帝国はその機会に乗じて1529年に最初のウィーン包囲を行った。ハプスブルク家はドイツ系諸国の援助を得て包囲を解き、オスマン帝国の占領地領有を認めるという条件でオスマン帝国と和を結び、ハンガリーのマグナートとは、ヤノーシュ=サポヤイが死んだ後にハプスブルク家がハンガリーを領有するという条件で合意を得た。しかし、この約束は実質的には実現されず、結局この過程でハンガリーはハプスブルク..

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