ガラスの動物園

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    「テネシー・ウイリアムズ作『ガラスの動物園』の主題について述べよ。」
    追憶の劇
    「ガラスの動物園」は追憶の劇である。通常の追想形式の劇や映画等の手法とは違う方法でウィリアムズはこの劇で追憶を表現している。
     通常、追憶とは過去の出来事が当時のそのままのかたちであらわれ、観客も過去の世界の入り込んで、一住民となってしまっていることがよくある。できごと自体は、たとえ過去のものであろうとも、そのできごとと同じ「時」の上に足場を置き、その流れにそって、そのままにえがいていく限り、過去の世界の住人になりきった観客にとっては、そこに生じる出来事は、全て目前のできごと、すなわち、「現在」の出来事の性格を備えている。「時」が後退したために、過去が、もとの位置で、そのまま「現在」になっていると言える。言い換えると、そのような追想形式は、過去の再現であって、過去が観客を、呼び寄せているのである。
     ところが、「ガラスの動物園」では、観客のもとへ、過去が、呼び寄せられてくる。これを可能にしたのが語り手でもあるトムの役割である。
    語り手トム
     この劇では、過去の話と現在の話の二つが繰り広げられているようであるがトムの「語り手」の役割によって違った「時」の流れにしている。もし、「語り手」トムの存在がいなければ過去の出来事は変化することなくそのまま観客に伝えられることになる。例えば、第三場でトムとアマンダの口論の場面でトムの語りがなければ、ただのアマンダの口うるさい説教に苛立つトム、というだけの場面であるが、「語り手」により、実はアマンダは自分のためを思って口うるさくても説教をしてくれているのである。ということを私は分かっていますということが語りには含まれている。
    内容的には荒々しいとげを含んでいたには違いないものが、「語り手」のいる現在では、そのとげがとれて、優しい同情の光を浴び、懐かしいあたたかいものを帯びたものに変化している。醜いものを美しく、美しいものはさらに美しく装わせる。
     このように「語り手」によって過去の出来事を過去そのものではないかたちに変化させて現在にはめ込んでいる。つまり、過去と現在を別々のものとせずに1つのものとして追憶を表現している。
     この追憶の表現手法では現実は現実のままの現実ではなくなっている。変えられた現実(むしろ非現実的な現実)追憶の素材としての現実であって、それが、さまざまな組み合わされ、追憶の世界におさめられて、現実よりもはるかに純度の高い世界を作り上げている。
    ジムの存在
     ジムはウィングフィールド一家の願望の固まりが作り上げた存在であると観ることができる。
     ジムは「バスケットボールの花形、討論部の部長、最上級学年の委員長、合唱団の団長、年一回上演するオペレッタでは男声第一歌手」というような「ヒーロー」である。それに、雄弁術の講義を受けて今の自分の現実から脱出しようと考えている。ジムはトムとは全く正反対の人物像でトムが求めるものはジムにある。
    ローラには、殻を破って夢の実現に手を貸してあげ、アマンダには、娘との結婚という一家の願望を叶えようとする。
    しかし、そのジムでさえ結局、過去はヒーローであったかもしれないが現在はトムと大差のない仕事をしている。それに、実は婚約者がいるという一度は願望を叶えられるかのように喜ばれておきながら現実をみせる。
    結局、この劇の登場人物四人は、現実社会から脱出することが出来ず、満たされない思いをいだいて、各自の殻の中にとじこもっているのである。満たされない感情に悩まされて、それぞれの立場で、精一杯あが

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    「テネシー・ウイリアムズ作『ガラスの動物園』の主題について述べよ。」
    追憶の劇
    「ガラスの動物園」は追憶の劇である。通常の追想形式の劇や映画等の手法とは違う方法でウィリアムズはこの劇で追憶を表現している。
     通常、追憶とは過去の出来事が当時のそのままのかたちであらわれ、観客も過去の世界の入り込んで、一住民となってしまっていることがよくある。できごと自体は、たとえ過去のものであろうとも、そのできごとと同じ「時」の上に足場を置き、その流れにそって、そのままにえがいていく限り、過去の世界の住人になりきった観客にとっては、そこに生じる出来事は、全て目前のできごと、すなわち、「現在」の出来事の性格を備えている。「時」が後退したために、過去が、もとの位置で、そのまま「現在」になっていると言える。言い換えると、そのような追想形式は、過去の再現であって、過去が観客を、呼び寄せているのである。
     ところが、「ガラスの動物園」では、観客のもとへ、過去が、呼び寄せられてくる。これを可能にしたのが語り手でもあるトムの役割である。
    語り手トム
     この劇では、過去の話と現在の話の二つが繰り広げられているようである..

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