リキ・アンネ・ウィルキンス『トランスを脱構築する』

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    新しいゲイ リキ・アンネ・ウィルキンス『トランスを脱構築する』
    (「ジェンダークィア」所収)より  「ゲイ・コミュニティ」として始まったものは、「レズビアンとゲイのコミュニティ」(女性の存在を無視しないよう確認し、歴史的な不正義を償うために最初に置く)になり、それから、「ゲイ・レズビアン・バイセクシュアルのコミュニティ」(バイセクシュアルを追加したのは、かれらも同性と寝たがために抑圧されたことを忘れないためであるのはもちろん、かれらが最終的に異性の相手を選び、ストレートであると装うべきである、と考えてはいけないためである)になり、最終的に現実的な目的がすべて考慮され、「レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーのコミュニティ」と呼ばれるようになった。(ニューヨーク・タイムズやCNNに取り上げられるときを除いて。このことは重大なことだけれども)。
     この「LGBT」という用語を不愉快に感じる者は、まだ存在する。ゲイやレズビアンの中には、政治的に不当な発言をして、「どうして? わかってるよ。そんなこと思ってないよ。まして言ったつもりもない。だけどね、どうしてジェンダーや身体の性別を変えることが、性的指向についての運動に含まれるのか?」と、小声で問い返す人がいるのが聞こえる。もし性的指向とジェンダーが別々のものであると考えているなら、よい質問である。幸いにしてストレートに見える人にとっては、さらによい問いである。  しかし、10年間にわたる粘り強い闘いの果てに、LGBTの中にTが含まれるようになったのは、紛れもない事実である。トランスジェンダーを擁することになった、「新しいゲイ」は成功するだろうか? ゲイの団体はトランスジェンダーに対して、現に中身のある資源を提供しているだろうか、そうだとして、それはトランスセクシュアルの権利にとどまらないのものだろうか。
     この点については、まだ勝訴を言い渡すには早いだろう。いくつかの数の団体がその途上にあるとはいえ、大多数の団体は、力を生む筋肉を生み出していないし、今現にある筋肉は、「性自認」やトランスセクシュアルの問題にのみ結びつけられているのである。  その一方で、ブッチ(男性的な外観の、タチのレズビアン)、クイーン(女性を誇張した外観のゲイ)、フェアリー(オネエのゲイ)、ハイ・ファム(女性らしさを強調する、ネコのレズビアン)、トムボーイ(ジャリタチのレズビアン)、シシー・ボーイ(女装のゲイ)、クロスドレッサーは、完全に市民権の言説から消し去られてしまった。どの名の通った運動団体の出す公式声明にも、かれらについては全く言及されないのである。政治的課題としては、かれらは既に存在しないものになっているのである。
     ジェンダーはそれ自体、まだ政治課題としては顕在化していない。それが言及されたとしても、トランスジェンダーだけの問題に、注意深く閉じこめられるのである。現実には、「ジェンダー」は「新たなゲイ」の課題になっている。しかし、ジェンダーについて、我々はもはや公式の場では話さなくなっているのである。私が念頭に置くのは、学校での暴力のことである。これはほかならぬジェンダーの問題である。これには人々の目も向くようになってはいる。不幸にして、クラスメートに射殺されるという惨事が起こっているからである。恐ろしい犯罪である。しかし、学齢期の若者による、ジェンダー規範から外れた者に対する攻撃は新しいものだろうか。学校に教室があって少年がいれば、普通に起こってきたことではないだろうか。あるいは女々しい男の子の問題は、

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    新しいゲイ リキ・アンネ・ウィルキンス『トランスを脱構築する』
    (「ジェンダークィア」所収)より  「ゲイ・コミュニティ」として始まったものは、「レズビアンとゲイのコミュニティ」(女性の存在を無視しないよう確認し、歴史的な不正義を償うために最初に置く)になり、それから、「ゲイ・レズビアン・バイセクシュアルのコミュニティ」(バイセクシュアルを追加したのは、かれらも同性と寝たがために抑圧されたことを忘れないためであるのはもちろん、かれらが最終的に異性の相手を選び、ストレートであると装うべきである、と考えてはいけないためである)になり、最終的に現実的な目的がすべて考慮され、「レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーのコミュニティ」と呼ばれるようになった。(ニューヨーク・タイムズやCNNに取り上げられるときを除いて。このことは重大なことだけれども)。
     この「LGBT」という用語を不愉快に感じる者は、まだ存在する。ゲイやレズビアンの中には、政治的に不当な発言をして、「どうして? わかってるよ。そんなこと思ってないよ。まして言ったつもりもない。だけどね、どうしてジェンダーや身体の性別を変えることが、性的指向についての運動に含まれるのか?」と、小声で問い返す人がいるのが聞こえる。もし性的指向とジェンダーが別々のものであると考えているなら、よい質問である。幸いにしてストレートに見える人にとっては、さらによい問いである。  しかし、10年間にわたる粘り強い闘いの果てに、LGBTの中にTが含まれるようになったのは、紛れもない事実である。トランスジェンダーを擁することになった、「新しいゲイ」は成功するだろうか? ゲイの団体はトランスジェンダーに対して、現に中身のある資源を提供しているだろうか、そうだとして、それはトランスセクシュアルの権利にとどまらないのものだろうか。
     この点については、まだ勝訴を言い渡すには早いだろう。いくつかの数の団体がその途上にあるとはいえ、大多数の団体は、力を生む筋肉を生み出していないし、今現にある筋肉は、「性自認」やトランスセクシュアルの問題にのみ結びつけられているのである。  その一方で、ブッチ(男性的な外観の、タチのレズビアン)、クイーン(女性を誇張した外観のゲイ)、フェアリー(オネエのゲイ)、ハイ・ファム(女性らしさを強調する、ネコのレズビアン)、トムボーイ(ジャリタチのレズビアン)、シシー・ボーイ(女装のゲイ)、クロスドレッサーは、完全に市民権の言説から消し去られてしまった。どの名の通った運動団体の出す公式声明にも、かれらについては全く言及されないのである。政治的課題としては、かれらは既に存在しないものになっているのである。
     ジェンダーはそれ自体、まだ政治課題としては顕在化していない。それが言及されたとしても、トランスジェンダーだけの問題に、注意深く閉じこめられるのである。現実には、「ジェンダー」は「新たなゲイ」の課題になっている。しかし、ジェンダーについて、我々はもはや公式の場では話さなくなっているのである。私が念頭に置くのは、学校での暴力のことである。これはほかならぬジェンダーの問題である。これには人々の目も向くようになってはいる。不幸にして、クラスメートに射殺されるという惨事が起こっているからである。恐ろしい犯罪である。しかし、学齢期の若者による、ジェンダー規範から外れた者に対する攻撃は新しいものだろうか。学校に教室があって少年がいれば、普通に起こってきたことではないだろうか。あるいは女々しい男の子の問題は、ゲイの問題でもフェミニストの問題でも、あるいは性自認の問題でもない、ジェンダーの問題であることを見逃していただけではないだろうか。
     ジェンダーが社会における個人の関係に、くまなく張り巡らされている以上、ほんの束の間、問題から目を離すだけで、翌朝のニューヨーク・タイムズの一面に載るような事件が起こるのである。ジェンダーのステレオタイプの問題が、すべての人が共有すべき中心的課題であり、すべての人が手を携えるべき人権問題であることを認識すべき時に、おそらくは来ているのである。
    リキ・アンネ・ウィルキンスは、1990年代前半は、黒いTシャツで著名なトランスセクシュアル・メナス(脅威)を自ら設立し、TS女性の参加を排除するミシガン・レズビアン音楽祭への抗議や、ブランドン・ティーナ殺害事件への抗議で名を馳せた。その後、GenderPACを設立し、TSに限定せずジェンダーの人権問題を訴え、積極的な議会活動などを展開している。 今回は紹介できないが、ウィルキンスは理論面では、ジュディス・バトラー以降のフェミニズムを取り入れ、性役割だけでなく身体的性別、性的指向もまた社会的に構築されたジェンダーであることをもとに、身体的性別と性自認の不一致という、従来のトランスジェンダーの理解に対しても批判的である。
    本文は、「トランスを脱構築する」という文の一節であるが、アメリカでのトランスジェンダーの運動も10年を経過し、一定の成果をあげたものの、実体的な権利を獲得したのはトランスセクシュアル(日本での「性同一性障害者」とほぼ同じ位置づけか)だけであり、ジェンダーの不均衡にはまだまだ手つかずのところが残されている、と指摘している。そして、ジェンダー規範から逸脱する者に対するヘイト・クライムは、つまるところ二元的なジェンダー・ステレオタイプがあるゆえ起こるのであり、それをなくすことが根本的解決につながると指摘している。 ジェンダー横断的な問題意識により、すべての人の権利を説くウィルキンスの姿勢は、医学上の「性同一性障害者」に限定して問題を解決しようとする日本の主流とは、対極の位置にある。 #もっとも、イラク戦争以降の外国人問題については、配慮を欠く発言で物議をかもしているという。 翻訳:makiko
    資料提供先→  http://homepage2.nifty.com/mtforum/ar004.htm

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