光時計 : テキストデータ

り、エネルギーの概念を葬り去るということは、正準共役である時間の概念をも道連れにするということなのである。 物理の体系から時間の概念を取っ払うなんて、そんなことが出来るのだろうか?
  実は私は初めからこのことを頭に入れていたのである。 これまでコラムの中で「時間も実在ではない」とほのめかすことを書いたり、「相対論において時間と空間を同等に扱うのは私の哲学上気に入らない」などと書いたりしてきたが、ここに来てようやくこの話が出来るわけだ。 そう、私は以前から時間の概念をも物理の体系から取っ払ってしまおうと企んでいたのである。
光時計
 アインシュタインが相対論の説明をするときに好んで使ったと言われる「光時計」の話をしよう。 つまり、使い古されたアイデアだということである。 物理を 学ぶ人々は大抵知っている話であって、私のオリジナルなアイデアであると誇るつもりはない。 その証拠にインターネットで「光時計」というキーワードで検索してやると、やさしい相対論の解説のページに行き当たり、その中で次に説明するような図がいくつも見つかることであろう。
 まず、鏡を平行に向かい合わせて置いておく。 そして、その間に光を反射させる。 すると、もし鏡が本当に平行ならば光はいつまでも反射を続けるだろう。  これは理想的な話であって、こんなことをしても光はすぐに減衰してしまう。 しかし、ここではそんなことは問題ではないのだ。  特に向かい合わせた鏡でなくても構わない。 一方に光源を用意しておき、鏡に向かって光をあてて、受光素子でその光が反射して来たことを確認したら再び光源から次 神秘的なものとして特別視することは無くなる。 光が物質内で振動する回数、それこそが時間の正体だと考えることが出来るわけだ。
誤解しないでもらいたいこと
 最近の人は余りにせっかちで、全体を読もうとしないから困る。 一部に怪しげなことが書いてあるというだけで、すぐさま全体が間違っていると速断してしまう。 あるいはその逆に、自分の頭でろくに考えもせずにすべて無批判に受け入れてしまうのはさらに困りものだ。
 どこが間違っていて、どこが合っているのか。 作者はわざとやっているのか、それとも気付いていないだけなのか。 わざとやっているとすれば何か意図があるのか?
 そのようなことを考えながら私を観察して楽しんでいる人はこのHPの目的を理解していると言える。
 私は一つの考え方を提案しているだ けであって、上の考え方が正しいのだ!と主張しているわけではない。 そもそも「物質が光から出来ている」というモデルはこの時点ではまったく証明されてもいないただの仮定に過ぎないではないか。 言葉を変えれば、私の妄想に過ぎないということだ。
 すでに気付いている人もいることであろう。 先にネタを明かしてしまうと、私はこれからの話で、この考え方の弱点を攻撃することで相対論の本質に近付こうとしているのである。
資料提供先→  http://homepage2.nifty.com/eman/relativity/lightclock.html