科学と教養教育 : テキストデータ

ルトンが取り上げた
反科学傾向はそれ以前の科学批判とは全く異なる性
質のものである。それは現代科学の個々の学説を批
判するなどという生易しいものではない。それは科
学全体の否定であり,科学理論の真理性や客観性を
否定し,科学に不可欠な論理的思考や実証的方法そ
のものまでも積極的に否定し葬り去ろうとする思想
的,政治的運動なのである。近代社会は不公正と抑圧
の世界であり,その近代世界はルネッサンス,宗教改
革や科学革命に始まった理性,科学,論理,秩序の時
代と定義し,このような不正な近代から抜け出すの
には近代のこれらの特徴,すなわち理性,科学,論理,
秩序から開放されなければならないとこの新しい思
想家たちは主張するのである。これが脱近代主義
(Postmodernism)と呼ばれるものである。このポスト
モダ )にソ
シアル・テキスト誌に投稿した原論文と解説がある。
筆者の理科教育に関した論文(北村 2001,北村2002)
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高等教育ジャーナル─高等教育と生涯学習─11(2003)        J. Higher Education and Lifelong Learning 11(2003)
にもこの事件の短い解説がある。マイアミ大学哲学
科のスーザン・ハーック教授は“Science, Scientism,
and Anti-science in the Age of Preposterism”(Sokal 1996)
という評論を書き,このような反科学思考を分析し,
何故そのような似非学問が起きてきたかを考察して
いる。
2. ポストモダニズムと科学教育
 ケスラー(Koestler 1964)やバート(Burtt 1995)の
科学批判はポストモダニズムの反科学とは全く異な
る。ケスラーやバートは科学を学び,科学を理解し,
科学に好意を持ちながら,彼等が考える現代科学の問
題点を指摘し批判しているのであ る。我々科学者には
彼等の考えを辿り,その論点を見出し,彼等が何を考
えているかを理解することができる。または理解でき
ないときには少なくとも理解できない理由を明確に指
摘できる。しかし,ポストモダニズムの主張には,
ソーカルが言うように,論理が存在せず,内容も全く
空虚なのである。従って,ホルトンの著書,文献
(Holton 1997)をカナダの大学書店で購入して読んだ
時,「私はポストモダニズムの本は決して読まないよ
うにしよう。時間の無駄になるから。私はホルトンほ
ど辛抱強くないので,反科学的な立場の人の書いた物
を読む神経は持ちあわせていない。このような人の著
書は精神衛生上有害だろう」という感想を持った。ホ
ルトン等が何故こんな馬鹿げた反科学的傾向を,まと
もに取り上げたのか理解できなかった。理由 メディア利用の教育においては,印刷教材は
なおさら重要な役割を果たす。同大学の初代のヴァ
イス‐チャンセラーだったペリー卿は「(受け身の姿
勢で)テレビ番組やラジオ番組を見聞きしているだ
けでは学位は取れない」として,教育メディアの中心
を印刷教材に移行し,大学の名称を“The University
of the Air”から“Open University”に変えて大学を発
足させたのである(Perry 1976)。この逸話はイギリス
の高等教育関係がいかに学生の自主的学習を重要視
しているかを示している。
 総合科目のような多くの分野を包括する学習では,
深さばかりでなく,広がりも重要である。そのような
科目において使用する目的で,古今の名著の中から
抜粋を集めて編集したものがよく使用されている。
殆どがペーパーバックで手ごろな価格で購入できる。
勿論, に呼び出して提示したり,授業科目の
ホーム・ページを作り,学生がそこから資料を呼び出
して利用できるできるようにする事もできる。
 このように,今日では印刷教材に代わって,ネット
上の膨大な資料を利用することを考えなければなら
ない。科目担当者は自分自身で履修者がアクセスで
きる教材をデータベースに準備するだけでなく,世
界のネット上の情報を集め,そのリンク集とその中
の資料の解説を製作することができる。このような
学習形態を通して,学生は,語学力は大学での学習に
は(学問には)如何に有力な利器であるかを実感でき
るであろう。これは,インターネット利用教育の貴重
な副産物と言えるであろう。ネット上の資料を充分
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高等教育ジャーナル─高等教育と生涯学習─ 11(2003)        J. Higher Education and Lifelong Learning 11(2003)
に活用するには,少なくとも(10 ページ/時間)の
読解力が必要とされるからである。
 日本語のネット教材資料も急速に蓄積されること
を期待している。海外のネット上にはフリーにアク
セスできる教材にも非常に優れたものが多数ある。
私は物理学,数学,哲学,歴史,科学教育等の資料を
常に覗いていて,ある大切なことに気付いた。それは
教材の善し悪しは,コンピュータの最新の技術とは
殆ど無関係であるということである。これらの教材
は,製作した教授が,ネットワークのなかった時にで
も,準備していた授業の原稿そのものと見えるので
ある。ネットが利用できるようになったのでホーム
ページを作り,掲載したというように見える。私が感
心した教材の一つ,バージニア大学のファウラー教
授の“Galileo and Eins のこ
の二つの講義は今世紀の最も偉大な科学者に数えら
れる,アインシュタインとボーアの学問上の業績と
人物について,科学者でない者が学ぼうとする時の
手ごろな入門コースといえるだろう。このような科
目も狭い専門科目と考えずに,広く一般の学生に開
放して欲しいものである。私は個人的には総合科目
よりもこのような科目に同情的である。
 筆者は総合科目としては,「総合化する科目」が望
ましいと考えている。その他いろいろな意見を筆者
は持っているが,大切なことは科目の担当者が,みず
から学び,考え,工夫して全体の枠組みがあっても,
自由に講義を組み立てていく雰囲気を作ることであ
る。
参考文献
Burtt, E. (1995), “The Metaphysical Foundation of Mod-
ern Physical Science,” Humanities Press (Originally
published by Harcourt, Brace & Co. in 1927)
Gross, P . , Levitt, N. (1994), “Higher Superstition: The Aca-
demic Left and Its Quarrels With Science,” Johns
Hopkins University Press
Holton,G. (1997), “Einstein, History, and Other Passions,”
Addison-Wesley Publishing Company
Holton,G. (1993), “Science and Anti-science,” Harvard Uni-
versity Press
Holton,G. (1964), “Why Teach Physics? Edited by Brown
and others Based on Discussions at the International
Conference on Physics in General Education,” The
MIT Press
金森 修(2000),「サイエンス・ウオーズ(東京大学
出版会)」ここではかなり詳しいサイエンス・ウ
オーズの紹介をしている。この本の評価はいろ
いろである。金森氏のこの紹介は客観的である
と言えよう。しかし,科学者から見ると,一方
的見方と評するのは酷であるが,これだけでは
不十分と思われる。以下のソーカルの三文献と
そこに挙げられた資料も参考にされたい。
北村正直(2000),「な ぜ科学教育は必要か」,『応用物
理教育』第24巻第 2号
北村正直(2001),「反科学・反理性と科学教育」,『物
理教育』第49巻第 4号
Koestler, A.; The Sleepwalkers, Penguin Books (1964) :
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高等教育ジャーナル─高等教育と生涯学習─11(2003)        J. Higher Education and Lifelong Learning 11(2003)
彼の名は日本でケストラーと表記されているが,
著者はケスラーと表わした。英米で彼の著書に
ついて友人達と語り合ったとき,みな彼の名を
“t”が聞こえないように呼んでいた。Koestler
の stl と子音が三つ続くので真ん中の“t”は発
音しないか,もしくは聞えないほど軽く発音す
るからであろう。通常の呼び方に異議はないが,
著者は長年Koestlerをケスラーと読んでいたの
で,それを使わせていただくことにした。
Sokal, A. (1996), “Transgressing the Boundaries: Toward a
Tra nsformative Hermeneutics of Quantum Gravity,”
Social Text, Spring/Summer
その他,インターネット上にはソーカル自身の
ものや多くのホームページがある。日本では東
北大学数学科黒木玄氏の優れたもの(黒木 HP)
がある。ソーカル自身のサイトにも,また黒木
氏のサイトにもソーカル事件関連のリンク集が
ある。
Sokal, A. and Bricmont, J. (1998), Fashionable Nonsense
― Postmodern Intellectuals' Abuse of Science ―,
Pacador
アラン・ソーカル,ジャン・ブリックモン共著,田崎
晴明,大野克嗣,堀茂樹共訳(2000),「知の欺
瞞」,岩波書店
Perry, W. (1976), “Open University,” The Open University
Press
Walsh, W. H. (1958), “Philosophy of History : Chapters II,
III,” Harper & Row Publishers, Harper Torchbooks
参考ホームページ
Fowler, M ; Galileo and Einstein; (http://
www.phys.vieginia.edu/classes/109N/home.html)
Fowler, Michel; Modern Physics (http://
www.phys.v irginia.edu/classes/252/home.html)
Haack, Susan; Science, Scientism, and Anti-Science in the
Age of Preposterism (http://csicop.org/si/9711/
preposterism.html)
黒木玄 (http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Sokal/)
Matthews, Michael R. ; Old Wine in New Bottles: A Prob-
lem with Constructivist Epistemology (http://
www.ed.uiuc.edu/EPS/EPS-yearbook/92_docs/
Matthews.HTM)
Quirk, William G.; The Anti-Content Mindset, The Root
Cause of the "Math Wars" (http://www.wgquirk.com/
content.html)