有間皇子挽歌卒論1

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       序
    有間皇子自傷歌は、実作か仮託かの問題を中心に、歌の内部にあっても、一四一番歌では「ま幸くあらばまたかへり見む」の表現に、悲劇性を見出だすことができるか否か、また一四二番歌では「椎の葉に盛る」の表現が食事を示すか、あるいは神饌かというように、現在まで多くの問題を抱えている。さらに根本的には、題詞と一四二番歌が乖離しているのではないかという問題を抱えており、これらは、いまだ定説を得るには至っていない。
    さらに自傷歌に続く長意吉麻呂の哀咽歌、山上憶良の追和歌は作歌時期の問題があり、さらには「鳥翔成」の訓みについても諸説あり定まっていない。
    このように有間皇子挽歌群は、巻二挽歌の冒頭に置かれ、その重要性を示すものであるが、いまだ多くの疑問が残されている歌群である。
    今回は一四一番歌を起点として、実作説の視点から、歌群を考察していく。
    有間皇子自傷歌の背景
    有間皇子は孝徳天皇と阿倍倉梯麻呂の娘・小足媛の第一皇子として生まれ、天皇崩御後の斉明四年(六五八)十一月十一日、謀反の罪によって藤白坂で処刑された。挽歌群冒頭の二首は刑死の一~二日前に、岩代(和歌山県みなべ町西岩代)で詠まれたと伝え..

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     東京の某大規模私大文学部の昨年度優秀論文です。必ず「参考資料」にとどめ、引き写しや剽窃はご遠慮ください。
    2009/04/25 14:36 (7年7ヶ月前)

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