前田先生講演

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    資料紹介

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    講師:首都大学東京都市教養学部長
    前田雅英 氏
    会場:中京大学アネックスホール
    日時:..年..月..日 (金) 午後2時~
    「新しい時代の法曹と刑法解釈」 ということでお話をするんですが、 そもそも新しい時代とは何
    か? このような議論をする場合は、 必ず今が新しいと言うんですね。 そして自分が新しいと。 他
    のやつのが古いんだ。 刑法で習われたかもしれませんが、 新派対旧派だってそうなんですよね。 旧
    派って、 大体悪いネーミングじゃないですか、 古い派なんて。 旧過失論だってそうなんですが。 や
    はり、 振り返って今自分がやっているのが正しくて、 後のが古いんだという議論なんですが、 その
    ときにはやはりその問題に合わせて切り取って、 自分が正しいと主張するわけですが。
    ただ、 そのような個人的な価値判断と立場性を越えて、 やはり共通の理解として、 大きく社会状
    況が変わってきているというのが、 多くの人々の共通認識があると思います。 一つは、 治安状況の
    問題なんですね。 刑事の理論というのは

    資料の原本内容

      

    
    
    

    
    

    

    

    講師:首都大学東京都市教養学部長
    前田雅英



    会場:中京大学アネックスホール
    日時:年月日 (金) 午後2時〜

    「新しい時代の法曹と刑法解釈」 ということでお話をするんですが、 そもそも新しい時代とは何
    か?

    このような議論をする場合は、 必ず今が新しいと言うんですね。 そして自分が新しいと。 他

    のやつのが古いんだ。 刑法で習われたかもしれませんが、 新派対旧派だってそうなんですよね。 旧
    派って、 大体悪いネーミングじゃないですか、 古い派なんて。 旧過失論だってそうなんですが。 や
    はり、 振り返って今自分がやっているのが正しくて、 後のが古いんだという議論なんですが、 その
    ときにはやはりその問題に合わせて切り取って、 自分が正しいと主張するわけですが。
    ただ、 そのような個人的な価値判断と立場性を越えて、 やはり共通の理解として、 大きく社会状
    況が変わってきているというのが、 多くの人々の共通認識があると思います。 一つは、 治安状況の
    問題なんですね。 刑事の理論というのは、 これはそれだけで全てが決まるなんてもちろん申し上げ
    ないんですが、 治安状況に非常に大きく影響されます。
    それからもう一つは、 法律関係の方がほとんどだと思いますので細かい説明抜きにどんどん説明
    させていただきますと、 見ておかねばならないのは、 憲法状況ですね。 憲法の理論状況が大きく変
    わってきている。 刑事訴訟法の世界なんかも含めて、 それが大きなうねりとなって解釈が変わって
    きます。 その中で、 よく 「正しい解釈が捻じ曲げられていく」 とか言いますが、 何が正しいかは誰
    が決めるかなんですね。
    私なんかは、 受け身的というか、 非常に主体性がないというか、 人の言うなりに動かされてきた
    ようなところが、 元々あるんですが。 今から申し上げることはそういうことではなくて、 信念とし
    て、 やはりその国のその時代の国民は、 法律のどれが正しいか決めていく、 それはもう動かし難い
    んだと思いますね。 その国民が、 今の日本人が刑法理論はこうあるべきだと考える原点として、 非
    常に大きなものとして社会・治安状況というのがあると思います。
    そこにグラフを付けさせていただいたんですが。 上が犯罪率で下が認知件数で、 人口で認知件数
    を割ったものが、 そのようになるわけですが。 戦後の年間は、 犯罪率は落ち続けた。 認知件数も
    減り続けたからなんですが、 戦後の後半は増え続けたということなんです。 上の方の犯罪率の一番

    

       
    

      

    高いときで
    なんですよね。 万人あたり
    件。 それが
    件まで落ちるわけです。 半減す
    るんです。 この間は、 高度経済成長期です。
    私は、 東京生まれの東京育ちで、 生まれたころは昭和年代なんです。 年より前には生まれ
    ています。 年生まれなんですがね。 住んでいた町の方には、 やはり浮浪者とかがいました。 今
    のホームレスとはまったく違う態様です。 駅から家まで帰るときに、 川の橋の下を通ると近道なん
    ですね。 そうすると、 そこに浮浪者がたむろしているんですよ。 戦争で親を亡くした人たちとかね。
    布団がむしろですよ。 もちろん、 今みたいにダンボールもなければ、 ビニールテントも何もない。
    ただ、 上に橋が架かっているというだけ。 そこに敷布団がむしろ1枚、 掛け布団むしろ1枚、 冬で
    もランニング1枚ですよ。 ドブにお米が落ちていれば、 奪い合って食べる。
    だから親が、 「あそこを通るときは、 荷物は抱えて走って通りなさい」 と、 随分きつく言いまし
    たよ。 やはり、 それが犯罪だったんですよ。 要するに食うために奪う、 窃盗・強盗が増えた、 多い。
    本当にあの頃多かったですよね。 そういうものがどんどん減って、 いわゆる貧困からの犯罪みたい
    なものというのは、 なくなっていく。 我々が、 ちょうど大学紛争世代のお終いの方というか、 団塊
    の世代のシッポなんですが、 私は。 そのころは、 やはり社会に対して批判的な、 これでいいのか、
    みんな若いときは考えるんだけれども、 その原点はやはり絶対的貧困です。
    あんな食えない、 あんな悲惨な、 食えないが故に餓死していくとか、 苦しんで薬もなくて、 死ん
    でいくと聞かされて、 やはりこれは不正義だと思うわけですよ。 それを何とかしなきゃいけないと
    いうのが、 我々の世代の学者の根本になっている場合が多い。 これは押し付けるわけにはいかない
    んで、 皆さんが生まれた時代には、 育った時代の生活実感から出てきた正義感が、 やはり刑法理論
    を作っていくんだと思うんです。
    そういう状況から、 豊かな時代に入ると、 今度は犯罪が増えだすんです。 そのグラフにある通り
    なんですが、 特に平成に入ってからの犯罪状況というのが悲惨なものであったわけです。
    去年の犯罪白書の特集が、 刑務所だったんです。 いかに、 刑務所が溢れているかという話です。
    「%過剰だ」 と言っても、 ピンとこないんですが。 何で独房に、 ベッドが二つ入っているかとい
    うことですよ。 独房は、 一人でいるところじゃないですか。 6人部屋に8人入れるために、 何が起
    こっているか。 足の上 ㎝ぐらいのところに、 板が渡っているわけです、 寝ている上に。 その板の
    上に人が寝ているわけです。 まさに、 刑務所は溢れているわけです。
    やはり、 治安状況は非常に悪いんだ、 何とかしなきゃいけないんだと皆思いはじめたことの象徴
    ですね。 刑務所が混むということは、 その前提としての裁判所も非常に厳しい。 裁判所が厳しいと
    いうことは、 その前の検事も大変である。 私の教え子で、 本当に過労死寸前だというのは、 オーバー
    じゃなかったです。
    検事の前は警察で、 東京なんかで話を聞くと、 もう留置場が溢れていて、 身柄を取っても入れる
    場所がないんだということです。 本当にないんだと。 留置できないんだと。 「ほかの署は」 と言っ
    ても、 もう頼めるところはみんな頼んでも、 もう空いていないんだという状況。 やはり、 それが事
    実だったと思います。
    そういうものが新聞やテレビに反映して、 もちろんワイドショーなんていうのは面白おかしく誇

    

      

    
    
    

    張する部分もあるし、 実際の流れとまた違う面あるんですが。 やはり社会全体として、 処罰を厳し
    くという方向の理論は出てくると思うんですね。 理論的には、 それは間違いであるとも言えます。
    数が増えたからといって、 それで動揺してはいけない。 正しい犯罪理論というのは、 客観的に存在
    するはずだと考える人が多いんです。 そもそも正しく犯罪を、 どこまで処罰するか。 どこまでが正
    しい刑罰か。
    それはやはり、 国民が生活していく上でこの程度のものをこの程度で処罰してもらって、 犯罪抑
    止してもらわないと成り立たないよ、 というバランス論から出てくる面が強いと思います。 この間、
    愛知の方から電話がかかってきて、 読売新聞のインタビューだったと思うのですが――記事になっ
    たのか、 ならないのか分からないんですが、 少年の3人に死刑が出た判決がありましたね。 あの死
    刑をどう評価するか。 重いのか、 軽いのか。 私のコメントは、 あの事実認定なら死刑しかあり得な
    いというコメントですが。
    少年法をやっている人の多くは、 少年だから軽くすべきだとか、 いろいろな議論があるんです。
    理論的に、 どこから死刑になるかは客観的形式的に決められるんですか。 戦後の中でも動いていっ
    ていますよ。 その時代の死刑の基準というのが、 やはりあるんだと思います。 一部の学説からは、
    もちろん死刑は廃止すべきなんです。 ただ、 死刑廃止論というのは非常に今は厳しくて、 国民の8
    割が死刑賛成といってよいでしょう。 ということはもう、 ほぼ完全に死刑存置の流れが強いという
    ことです。
    先日アンケート調査を、 私たちもやったのですがほぼ9割が死刑賛成でした。 これが実情だと思
    います。 なぜそう重くなっているか。
    実は犯罪理論もそうだけれども、 では、 客観的に――先ほどお話があったように――結果無価値
    論が正しいからこうなる、 行為無価値論が正しいからこうなる。 正しいものが決まっているもので
    あって、 犯罪が増えたからとか、 国民の不安が増えたから理論が動いてどうするんだと思っている
    人がいるかもしれないけれども、 そもそも理論とは何なんですかということなんです。 そもそも、
    なぜ結果無価値論が正しいんですか。 なんで行為無価値が正しいんですかということです。 それが
    最大の価値判断なのです。
    主観主義から行為無価値になっていく。 客観主義から結果無価値になっていく。 我々が習ったこ
    ろは、 新派対旧派。 牧野先生の主観主義対、 小野先生、 滝川先生の客観主義。 牧野先生は、 今流に
    言えば行為無価値的ということになるんだと思うんです。 滝川先生のような立場は、 結果無価値的
    ということになるんでしょうが。 その座標軸は今だって基本的に変わらないんですが。 問題は、 そ
    の座標軸の中でどう微妙に動いていくかなんです、...

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