春秋戦国時代の食文化について

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    中国文化地域技術比較現代孔子民族方法東京福祉大学

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    「中国王朝のなかで、あなたが最も関心を持つ王朝を選び、それを中国史上のほかの王朝と対比して述べなさい。」

     この設題では、中華料理の文化について、古代中国人、主に、孔子が生きていた春秋戦国時代の食文化に焦点を当て、話を進めていく。

     農耕技術が進歩し、学問も盛んな春秋時代(前770~前403年)は、中国文明の原型が形成された重要な歴史時期であった。漢民族文明の根幹はその頃に形作られ、文化のエッセンスは後の時代にも継承されている。

     いまから2500余年前に生まれた孔子は、その時代の代表的な士大夫であった。彼の書物などから中原地域(中国文明の発祥の地)の食文化についておおよその様子を推測する事が出来る。
      1、主食
     『論語』の「微子第十六」には、ある日、孔子の弟子である子路が旅の途中、ひとりの隠者に出会い、隠者は子路を引き止めて泊まらせ、鶏と黍飯をご馳走した事が記されている。来客をもてなすのに使われているのだから、「黍」は上等な食料であったことが考えられる。ひとくちに「キビ」とはいっても、「黍」は「モチキビ」を指し、別名「黄米」である。粘性があるため飯にしていたのである。
     当時の主食は稲、黍、粟、麦、豆など数種類があった。『論語』の「陽貨第十七」には稲に言及する箇所があり、その中で、米は高級な衣服とともに挙げられており、当時ではぜいたくな食べ物であったことが考えられる。また、孔子が住んでいた魯の国の地理や気候条件、農耕技術を考えると、稲の大量栽培には向いていなかった。従って、稲のつくれないところで米が主食になるのは難しいといえるだろう。
     当時、中原地方では米がぜいたくな食べ物で、豆と麦は貧しい人々の主食であった。す

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    「中国王朝のなかで、あなたが最も関心を持つ王朝を選び、それを中国史上のほかの王朝と対比して述べなさい。」
     この設題では、中華料理の文化について、古代中国人、主に、孔子が生きていた春秋戦国時代の食文化に焦点を当て、話を進めていく。
     農耕技術が進歩し、学問も盛んな春秋時代(前770~前403年)は、中国文明の原型が形成された重要な歴史時期であった。漢民族文明の根幹はその頃に形作られ、文化のエッセンスは後の時代にも継承されている。
     いまから2500余年前に生まれた孔子は、その時代の代表的な士大夫であった。彼の書物などから中原地域(中国文明の発祥の地)の食文化についておおよその様子を推測する事が出来る。
     1、主食
     『論語』の「微子第十六」には、ある日、孔子の弟子である子路が旅の途中、ひとりの隠者に出会い、隠者は子路を引き止めて泊まらせ、鶏と黍飯をご馳走した事が記されている。来客をもてなすのに使われているのだから、「黍」は上等な食料であったことが考えられる。ひとくちに「キビ」とはいっても、「黍」は「モチキビ」を指し、別名「黄米」である。粘性があるため飯にしていたのである。
     当時の主食..

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