091201A

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    資料の原本内容

    みたけ交流新聞
    (ザイヤニンジュ)年中今
    到寛保三癸亥凡得(ミズノ
    トイオオヨソウル)九百余
    名鉄顔戸駅すぐ南、林の 歳」この「在世仁寿年中」
    中に「在原黄門行平卿之墳」 とは、奈良の大仏が作られ
    と正面に刻まれてた墓碑が た 天 平 時 代 よ り 約 百年程
    ある。行平の頭書「黄門」 下った平安時代初期で九百
    とは中納言という官位の異 年余後の江戸時代の寛保三
    称で、国府の役職では按擦 年にこの墓碑が建立された
    使 を も 兼 ね て も い たので ことが読み取れる。左側面
    「正三位」の位を賜ってい には「顔戸村念仏講中建之
    る。右側面には「在世仁寿 為」と建立者名が刻まれて


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    御嵩町地域づくり助成事業
    091201D(第6号)

    御嵩住民交流新聞
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    大倉晴男)
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    ●古田印刷
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    ●NPO法人協働共生
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    のまちづくり
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    いる。
    「立ち別れ いなばの山の
    峰に生ふる 松とし聞か
    ば いざかえりなむ」古今
    集は離別歌の最初に上げら
    れており、この歌は異母弟
    の在原業平の歌と共に百人
    一首にも選ばれている。八
    五六年因幡の守に任ぜられ
    た行平が役終わって帰国す
    る時の詠歌で、親しい人と
    の別れを惜しんだ歌だと解
    されている。また赴任する
    時に都に残した人に贈った
    という説もあり、相手は特
    定の人ではなく土地に別れ
    を告げたとも考えられる。
    いなばの山は、神話「いな
    ばの白うさぎ」の因幡で、
    現在の鳥取市国府(旧石見
    郡国府町)となっている。
    この歌は「いなば」に至な
    ばを「松」に待つが掛けら
    れた技巧的な歌で、弟の業
    平と共に和歌に長けた兄弟



    【発行主体
    【発行主体
    【発行主体



    【発行主体】
    【発行主体
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    といえる。行平は古今集に
    はもう一歌「わくらばにと
    う人あらば 須磨の浦
    藻塩たれつつ わぶと答
    えよ」第五十五代文徳天皇
    時代なんらかの事件に関わ
    り須磨の浦へ流罪となり三
    ヶ年を過ごしている。「わ
    くらば」とは病葉の文字を
    充て、青葉に雑る黄色く変
    色した葉を表している。「藻
    塩たれつつ」とはこの時代
    の塩作りは、海草に掛け乾
    燥後火で燃して塩を集める
    方法で、海草より塩水が滴
    る様を悔し涙または懺悔の
    涙にたとえ行平の歌らしく
    末の行を「我と答えよ」も

    しくは「詫びて答えよ」と
    結び、これ等の言葉の組み
    合わせにより複数の解釈が
    出 来 る よ う に 詠 ま れてい
    る。行平は不遇の三ヵ年の
    間に漁師の仕事である塩作
    りに携わって土地の海女と
    も親しくなっている。松風・
    村雨この二人の海女姉妹と
    の 関 わ り に つ い て 能では
    「松風戯れの舞」古典では
    「須磨物語」そして舞踊で
    は「汐汲」とそれぞれに異
    なった名称が付けられ親し
    まれている。三年前この墓
    碑の程近くには、東海環状
    の可児御嵩インターが開設
    された。御嵩町の重要文化
    財に指定されているこの墓
    碑の所在地は、名鉄電車の
    車窓より望むことが出来ま
    すので、この機会に古今集
    と共に名鉄存続に関心を賜
    れば幸いと願っています。
    (投稿 奥村正広)

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