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     名鉄顔戸駅すぐ南、林の中に「在原黄門行平卿之墳」と正面に刻まれてた墓碑がある。行平の頭書「黄門」とは中納言という官位の異称で、国府の役職では按擦使をも兼ねてもいたので「正三位」の位を賜っている。右側面には「在世仁寿(ザイヤニンジュ)年中今到寛保三癸亥凡得(ミズノトイオオヨソウル)九百余歳」この「在世仁寿年中」とは、奈良の大仏が作られた天平時代より約百年程下った平安時代初期で九百年余後の江戸時代の寛保三年にこの墓碑が建立されたことが読み取れる。左側面には「顔戸村念仏講中建之為」と建立者名が刻まれている。         「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる 松とし聞かば いざかえりなむ」古今集は離別歌の最初に上げられており、この歌は異母弟の在原業平の歌と共に百人一首にも選ばれている。八五六年因幡の守に任ぜられた行平が役終わって帰国する時の詠歌で、親しい人との別れを惜しんだ歌だと解されている。また赴任する時に都に残した人に贈ったという説もあり、相手は特定の人ではなく土地に別れを告げたとも考えられる。いなばの山は、神話「いなばの白うさぎ」の因幡で、現在の鳥取市国府(旧石見郡国府町)となって..

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