キプロス南北分断までの経緯と問題点

会員540円 | 非会員648円
ダウンロード カートに入れる
ページ数4
閲覧数213
ダウンロード数0
履歴確認

    ファイル内検索

    資料紹介

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    キプロス南北分断までの経緯
     今現在もEUへの加盟交渉が続いているトルコ共和国であるが、ここではこの交渉を複雑化させている大きな要因でもある、キプロスの南北分断までの経緯について見ていきたい。
    1. キプロス共和国の基本情報 1
    2. 紀元前からイギリスから独立までの歴史 1
    3. キプロス共和国の誕生から南北分断への経緯 2
    4. 問題点 2
    キプロス共和国の基本情報
    公用語 ギリシャ語、トルコ語 首都 ニコシア 人口 775,927人(世界156位) 面積 9250k㎡(世界162位) 独立 1960年8月16日にイギリスより独立
    まず、キプロスとはトルコ南の東地中海上に面する小さな島国である。地理的には西アジアであるがキシアで国全体の人口はわずか約77万人(世界156位)、面積も9250平方キロメートル(世界162位、兵庫県と同等)と人口・面積ともに非常に小さな国である。しかし、戦略地理的にヨーロッパ・中東・アジアを分断する地域にあるため、その地理的価値は高く、歴史上、様々な地域からの支配を受けた。そのため、全人口のうちギリシャ系住民が77パーセントとトルコ系住民が18パーセン..

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。