1日本の組織・社会と欧米の組織・社会での承認欲求の表れ方の違いについて (自動保存済み)

閲覧数866
ダウンロード数7
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 全体公開

    資料紹介

    資料の原本内容

    1 日本の組織・社会と欧米の組織・社会での承認欲求の表れ方の違いについて

     はじめに日本の組織・社会と欧米の組織・社会のそれぞれの特徴ついて論じてから承認欲求の違いについて述べたいと思う。まず、日本の組織・社会の特徴として組織性を重視する点である。そのことから、自分の意見や考えた方を主張するのがほかの国々に比べて少なくむしろ、マニュアルや規律を守るなど人々の和を重視する。つまり、日本の組織・社会は個人意識が弱く、集団で行動し、集団的に思考することから集団主義と呼ばれている。一方、欧米の組織・社会は日本と組織・社会とは正反対で、マニュアルや規律を守るなどの和より自分の意見や考え方など主張するのを重視するようにしており、個人意識が強い。このことから、欧米の組織・社会は個人主義と呼ばれている。この二つの違いが2006年の野球の世界一を決めたWBCにおいて現れている。欧米のチームはホームランなどの個人プレーが目立っていたのに対して、日本のチームはホームランなどの個人プレーが少なく、盗塁やバンドなどを4番バッターでさえ実行していた点をみるとさきほど述べた特徴が顕著に現れているのではないだろうか。以上の日本の組織・社会と欧米の組織・社会の特徴の違いの背景を踏まえた上でそれぞれの承認欲求の表し方の違いを日本と欧米の教育方針の違いを例にあげて示したいと思う。(どちらがいいか、悪いかは別にして)

     日本の教育では規律や和など集団性を大切にしている。特に日本の学校は、平等主義の理念からによって、なるべく、生徒達に優劣の差を無くそうとする。そのために、生徒達も同じ価値観を目指すようになってしまい、規律や和を維持するために集団性を重視するためそこからはみ出すものを排斥する傾向が強い。確かに「個性を尊重しよう」という人もいるが、それは口先だけで結局は個性をみとめず、人並みにしようとして、突出した者が排除される。教育全体がそのように考えるので生徒達も同じように考えるようになる。そのため、目立った子や生意気な子やドジな子、おとなしい子供達はまわりとなじめないなど、個性がある子どもはいじめに遭うケースも少なくない。そして、欧米の教育は対照的で個性重視の理念に基づいている。だから欧米では、飛び級や、能力別クラス、留年が日常的に行われる。集団からはみ出すところがあっても、それらを集団の中に戻そうとは考えない。むしろ、どこかに優れたところがあったら、それらを伸ばそうとする。成績のよい子にはエリート教育がなされるが、スポーツや芸術、技能の得意な子にも同じように、それぞれの分野をもっときわめる教育が行われる。また、同時に自己主張し、議論をすることが教えられている。

     こういった教育例から分かるとおり、日本の組織・社会での人々はまわりを気にするため突出しようとするのを嫌い、個人的な成果やアイディアなどあまり重視せず、上下関係やマニュアルなどの規律を守ることなどの集団の中で認められようとしているのではないだろうか。欧米の組織・社会の人々はマニュアルや規律はある程度の目安と考え、自分の成果や能力によって承認欲求を表しているように思える。

    2 日本の組織・社会で認められるには何が必要か、あるいはどうすればよいか

     少し前までの日本の組織・社会では人間関係を大切に、集団の中での和を乱さなく、上司の指示・命令に従うことができる人材(従順で管理しやすい組織人)、効率の向上を目指し、組織を機能的に管理することができる人材、また、手続きを守ることで、成果を出していける人材など、ムダなく効率的に仕事を進めていくことが求められた。つまり、全体で計画を立て、統制のとれた組織で、一人ひとりは余計なことは行わず、作業をできるだけ単純化・マニュアル化していくほうが、ずっと有利だったのであり、組織のために円滑に作業をするのが重視されていた。しかし、「国際化(グローバル化)」と「IT(情報技術)革命」の二つの社会的大きな変化によって日本の組織・社会も大きく変わらなければならないようなってきている。具体的に言うなら、「大量生産・生産性競争(ナンバーワン企業)戦略時代」から「スピード競争・独自性価値(オンリーワン企業)戦略時代」への切り替えである。

     この二つの大きな社会的変化市場のニーズが多様化し、変化もスピードアップしてくると、どうしてもそれに迅速に対応をしていかなければならない。また、国際競争も、この流れに拍車を掛けている。「他社よりも一円でも安いものを」といった戦略は、安価な外国人労働力の前にはむなしい努力となって消えてしまった。そこで、企業の生きる道として、他社と競争するのではなく、他社にない独自の価値を次々に世界に提供することが求められてきているのである。
     市場のニーズを把握し、すばやくビジネスへと展開していくためには、既存のやり方にこだわっていたら、十分な成果を出していくことはできない。また、経営トップの判断を待っていたら、チャンスはどんどん逃げていってしまう。仕事の最前線にいる人間が、柔軟性と機動力を持っていかに素早く判断し、行動していけるかが重要になってくるのである。つまり、「会社の命を待って動いていく人材」から「自分自身の意思によってタイムリーに判断し、行動していく人材」へと、求められるようになってきている。また、もうひとつ企業が求めているのがコミュニケーション能力だと思う。今、日本の企業は中国やアメリカなどのさまざまな国々に進出している。だから、現地の人々とコミュニケーションしなければならないので英語などが必要となってくる。TOEIC やTOEFULが企業での就職で大切になっているのもそのためである。

     以上のようなことが日本の社会・組織において求められているのではないかと思う。
    参考資料 週刊ダイヤモンド(2007/02/10) 読売新聞(2006/03/27)  「教育改革の幻想」 ちくま新書 作者苅谷剛彦 「情報文明の日本モデル」坂村健

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。