*付け木

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    資料の原本内容

    負担にならない気遣い(付け木「つけぎ」)
    私は農家の次男坊として育った、その当時食べ物をお店で買う習慣は無く、お店も今の様に多くの食べ物を置いていなかった。その様なことから、年に何度かの行事、特に冠婚葬祭や、建前の際に色々なごちそうにありつけるのが小さい頃の最大の楽しみであった。また、その様な機会に頂いて来たごちそうや、各家庭で作ったごちそうを隣近所にお裾分けをする機会が多かった。また、日頃食べない珍しい食べ物(今では珍しく無いがその当時は自分の家で採れたもの以外は珍しかった様に思える)、も近所同士でお裾分けを行っていた。その当時の行為には、お互いに喜びを分かち合うと言うような、純粋な思いからなるご近所付き合いが有った様に感じられました。また、これらのごちそうは、重箱や皿に入れられて来ました。その様なことから、これらの器をお返しに伺います。ごちそうを入れられた器をきれいに洗い、その中にマッチ棒を20、30本入れてお返ししていました。そして、このマッチ棒の事を「つけぎ」と呼んでおり、お返しする際に、「つけぎ」を付けたか?と親に言われて育ちました。
    小さい頃この行為は単なる習慣としてしか捉えていませんでしたが、家庭を持ち多少の近所付き合いも発生した頃からこの「つけぎ」を考える機会が生まれました。この「つけぎ」は「付け木」で有り、「木」は心遣いに対する「ありがとう」の気配りの「気」を意味したのではと考える様になりました。ただそのまま返すのは失礼なので必ず付けなければいけないと親から言われ育ったものです。もっとも当時は従来の付け木から早付け木(マッチ)に変わっていましたが、今思えばおしゃれな気配りにも思える。
    現在ご近所や友人からごちそうを頂いた際に、お返しの都合上、頂いたものの値段を考えてしまいます。(値踏みです)、頂いたら、その分の借りを返さなければとの思いが先行してしまいがちです。その様なことから、あげる側も気軽にあげにくくなった時代とも言えます。
    現在お金を出せばすぐにおいしい食べ物が手に入り、ご近所にお裾分けする機会も少なくなってきたと共に、チョットした気持ちでのお裾分けが、もらった側にかえって気遣いをさせかねない事も考えられます。こんな時に負担にならない気持ちを付け添える付け木の存在が懐かしく感じています。火を付ける道具として以外に気配りをあらわす、すばらしい道具の使い方であったと感じます。
    参考資料
    つけぎ 【付(け)木】 goo辞書から
    松や檜(ひのき)の薄い木片の端に硫黄を塗りつけたもの。火を他の物につけ移すのに用いたが、マッチの普及後使用されなくなった。硫黄木。火付け木。
    群馬県吉井町HPより 2007/3/7
    火打金が使用されていた時代は、火種を炎に変えるために付け木(つけぎ)と呼ばれるものを使用していました。付け木とは、ヒノキやスギを薄く削ったヘギの先端に溶かした硫黄(いおう)を付けたもので、引火すると青い炎が燃え出します。付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。

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