連関資料 :: クルド人

資料:2件

  • クルドの歴史
  • 「クルディスターン」という地名が正式に歴史に登場する以前の歴史から始める。 現在のクルディスターンにほぼあたる地域(イラン高原からユーフラテス川の間の一帯)は、先史時代にはミタンニ王国などの諸王国が支配していたようである。これが紀元前1600年頃のこと。  後に、インド=ヨーロッパ語族のメディア人がイラン高原でメディア王国を建国する。どうやら、クルド人たちはこのメディア人が彼らの祖先であると考えているようだ。このことに関してははっきりとした調査結果は出ていない。  紀元前6世紀中頃、インド=ヨーロッパ語族のペルシャ人がメディアや他のオリエントの国々を滅ぼし、オリエントを統一するが、紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王の征服を受ける。大王の死後、その大帝国は分裂し、クルディスターンはギリシャ系のセレウコス朝シリア(前312〜63)、パルティア(前248〜後226)、そしてササン朝(後226〜651)に支配される。  紀元後7世紀、ササン朝はアラブ=イスラム軍にニハーヴァンドの戦い(651)で滅ぼされる。ササン朝の国教はゾロアスター教(拝火教)として知られており、その支配を受けていた古代クルド人たちの宗教もゾロアスター教であったが、ゾロアスター教寺院は破壊され、最終的に彼らの大半はイスラム教に改宗する。いわゆる『コーランか剣か』の時代であったことを物語っているように思える。しかし、ウマイヤ朝までは『イスラム帝国』ではなく『アラブ帝国』であり、「異宗教」ではなく「異民族」支配の性格を持っていたために、“クルド人たちは改宗後もアラブ人化しなかった”そうだ。
  • レポート 国際関係学 クルド人 クルディスターン フセイン ハラブジャ
  • 550 販売中 2006/05/16
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