歌川国芳の戯画的表現について

閲覧数2,518
ダウンロード数7
履歴確認

    • ページ数 : 6ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    後期浮世絵最大の流派、歌川派の絵師国芳の作品を鑑賞し、国芳の得意とした戯画的表現について述べなさい。特に天保の改革などの時代背景に留意し、「なぜ」このような作例が歓迎されたのかを論じなさい。

    タグ

    日本文化評価影響改革動物遊び浮世絵江戸

    代表キーワード

    歌川国芳文化

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    歌川国芳は、江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人である。歌川国芳は、同時代に活動した葛飾北斎や歌川広重らの人気絵師に比べ、日本における知名度や評価は必ずしも高いとは言えなかったが、幕末の奇想の絵師として注目され、再評価されるようになるのは二十世紀後半になってからである。
    歌川国芳は、寛政九年(一七九七)に江戸の日本橋に染物屋の息子として生まれた。本名は井草芳三郎、浮世絵師としては一勇斎と号する。文化八年(一八一一)、十五歳で初代歌川豊国に入門した。歌川豊国は華麗な役者絵で一世を風靡した花形絵師であり、弟子に歌川国貞がいる。歌川国芳は入門して数年の後、文化十一年(一八一四)頃から作品発表を開始しているが、兄弟子の国貞という強力なライバルがいたこともあり、なかなかヒット作に恵まれなかった。師の歌川豊国が死んだ後、文政十年(一八二七)頃に発表した『水滸伝』のシリーズが評判となり、三十歳を過ぎてから人気絵師の仲間入りをした。
    歌川国芳には多くの門弟がおり、幕末から明治前期に活躍した画家で河鍋暁斎や、最後の浮世絵師と呼ばれた月岡芳年も歌川国芳に弟子入りしたことがあった。歌川国芳は明治維新を目前に...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。