冠位十二階から律令官制への変遷

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    「冠位十二階から律令官制への変遷」
    はじめに  
    推古朝以前、大和王権が成立した5~6世紀の時代は、天皇(大君・大王)のもとに、最高位の執政官として大臣、大連が任ぜられ、大夫という官僚群を率いて行政を行っていた。大臣は臣という姓をもつ一族の代表という意味で、大連は連系族の代表者だったのである。
    大臣に任ぜられた一族は葛城臣、蘇我臣、平群臣などで、これらの一族は共に武内宿禰を祖先と称する同族意識を持ち、大和盆地に本拠地をもつ豪族だった。これに対して大連は、大伴連、物部連から選ばれたのだが、大臣が葛城、蘇我、平群のごとく大和盆地の地名を冠して呼ばれていたのに対して伴・部などという伴造・部民そのものの名を氏としている。いずれも職業集団を率いて古くから天皇家に奉仕してきた豪族だった。
    6世紀の終わりから7世紀代に入ると、中国では南北朝を統一した随が成立し、強大な統一中央集権国家が出現し、周辺国の一つであった日本も天皇を中心とした統一国家を志向するようになってきたのである。そしてこの動向を積極的に推進したのが、かの聖徳太子であった。聖徳太子は、このような時代背景の中、今までの世襲的、民族的な官僚..

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