文化交流論 ①歴史研究の方法が現在に至るまでどのように変化したか②ポリスの本質とその政体の変遷について③共和政期ローマの対外発展とその結果について

会員540円 | 非会員648円
ダウンロード カートに入れる
ページ数2
閲覧数346
ダウンロード数0
履歴確認

    ファイル内検索

    タグ

    代表キーワード

    文化交流論

    資料紹介

    No.2 歴史研究の方法が現在に至るまでどのように変化したか
    (1)19世紀までの歴史研究の方法
    ①ドイツの歴史学者ベルンハイムの有名な著書「歴史学入門」によれば、歴史学の発達は、物語風歴史・教訓的歴史・発展的歴史の3つの主要段階に分かれるとされている。
    ②近代社会成立期の18世紀に、啓蒙主義思想が特にフランスを中心にして高まりを見せたが、ドイツの歴史哲学者トレルチによれば、啓蒙主義は超自然的な神の摂理を否定し、人間の営みを「理性」の光で照らし、

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    No.2 歴史研究の方法が現在に至るまでどのように変化したか
    (1)19世紀までの歴史研究の方法
    ①ドイツの歴史学者ベルンハイムの有名な著書「歴史学入門」によれば、歴史学の発達は、物語風歴史・教訓的歴史・発展的歴史の3つの主要段階に分かれるとされている。
    ②近代社会成立期の18世紀に、啓蒙主義思想が特にフランスを中心にして高まりを見せたが、ドイツの歴史哲学者トレルチによれば、啓蒙主義は超自然的な神の摂理を否定し、人間の営みを「理性」の光で照らし、経験領域内ですべてを開明せんとするものであった。
    ③観念論哲学の大成者ヘーゲルが、世界精神の弁証法的な自己実現の過程が歴史であるとされ、世界精神の本性は自由であるので、歴史は自由の実現される過程であるとされた。
    ④19世紀半ばになると、欧米諸国では産業革命が展開して、資本主義社会が姿を現してくる中で、カール・マルクスが唯物史観を展開して、大きな影響を与えていく。
    ⑤近代歴史学はドイツの歴史家レーオポルト・ランケによって確立されたとみなされている。ランケがそうした歴史主義思想の高みに到達することができたのは、彼の本来的研究対象が15・16-18世..

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。