日本文化論 設題1・紀貫之の作品と生涯について

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    設題1.紀貫之の作品と生涯を述べなさい
    (1) 紀貫之の生涯
    紀貫之は蔵人望行の子として貞観年代に生まれる。和歌のほか書道にも優れていた。893年(寛平五)9月、菅原道真が「新撰万葉集」を撰進。「新撰万葉集」に作品が載る。この年ころまでに「寛平后宮歌合」、「是貞親王歌合」にも作品が載る。905年4月、醍醐天皇の勅命により『古今和歌集』を選者の1人として編纂、906年2月、越前権少掾に任官。これより先、御書所領となる。同年、内裏の月次屏風八帖の料の歌四十五首を

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    設題1.紀貫之の作品と生涯を述べなさい
    紀貫之の生涯
    紀貫之は蔵人望行の子として貞観年代に生まれる。和歌のほか書道にも優れていた。893年(寛平五)9月、菅原道真が「新撰万葉集」を撰進。「新撰万葉集」に作品が載る。この年ころまでに「寛平后宮歌合」、「是貞親王歌合」にも作品が載る。905年4月、醍醐天皇の勅命により『古今和歌集』を選者の1人として編纂、906年2月、越前権少掾に任官。これより先、御書所領となる。同年、内裏の月次屏風八帖の料の歌四十五首を奉る。907年2月、内膳典膳に遷任。9月、宇多天皇が大井川に外出された際に、歌や序を供奉、910年2月、少内記に遷任、913年4月、大内記に転任。同年、亭子院歌合に参加。屏風画などを作る。917年1月、従五位下に叙位。大内記如元。加賀介兼任。918年2月、美濃介兼任。加賀介任替。 923年2月、大監物に遷任。 929年9月、右京亮に転任。 930年1月、土佐守に遷任。 醍醐天皇の勅命により『新選和歌集』を編纂。紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑らと勅命によって古今和歌集を選び、貫之がその序(仮名序)を書いたがこれで大いに有名になった。完成を見て天...

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