教育人間学概論 暴力のありようが人間形成に与える影響 + デュルケーム自殺論の簡単なまとめ

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    暴力のありようが人間形成に与える影響

     「私」という存在自体が暴力になるとは考えたことがなかった。しかし逆を考えれば、「ある人」がいるだけで私は苦痛に感じることがある。私にとって「ある人」の存在が暴力なのである。私はある人のすること、考え方、話し方すべてが暴力に感じることがある。私は自分の暴力性を抑えるために、ある人から離れようとするが、ある人から近づいてくるのである。では、近づいてみようと試みるがやはり、精神的に耐えられないのである。ある人に対して無関心になれば、気にもならないし、平常心でいられるはずである。しかしながらある人の存在は私の中で一定の部分を占め、心の中に居座っているのである。

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    暴力のありようが人間形成に与える影響
     「私」という存在自体が暴力になるとは考えたことがなかった。しかし逆を考えれば、「ある人」がいるだけで私は苦痛に感じることがある。私にとって「ある人」の存在が暴力なのである。私はある人のすること、考え方、話し方すべてが暴力に感じることがある。私は自分の暴力性を抑えるために、ある人から離れようとするが、ある人から近づいてくるのである。では、近づいてみようと試みるがやはり、精神的に耐えられないのである。ある人に対して無関心になれば、気にもならないし、平常心でいられるはずである。しかしながらある人の存在は私の中で一定の部分を占め、心の中に居座っているのである。
    なぜ私はある人の存在が暴力的に感じるのか?私が、常にある人のことを考えることにより、自己のありようを見直さずにはいられないからではないだろうか。自己の不確かさに気づき、私のあり方を固定化せず、流動的になってしまう。ある人との関わりの中で自己認識、自己再発見せざるを得ない。このような精神的暴力は、つねに私を自己形成させ、自己実現へと導いてくれる大事な存在であるともいえる。
    被投性により存在させられて...

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