現代教養科目<前半>

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    平成22年度 現代教養科目「現代の生命倫理・法・経済を考える」

    レポート
    テーマ:「印象的なコミュニケーション場面の講義内容を踏まえた分析」
    講義担当教員:文学研究科 ○○○○教授
    提出日:平成22年5月27日
     講義の内容では、医療のコミュニケーションが包括するものとして価値観、個人としてのやる気や限界、施設から来る制約が主なものとして挙げられていた。これらの項目および、R・ヤコブソンの言語論の定義を踏まえて、私が実際に体験したコミュニケーション場面を分析したいと思う。

     私は薬剤師という医療従事者の立場を目指す学生でありながら、現状は社会においては患者の一人にすぎない。けれども日々の授業を通じて自然科学および医療科学に関する専門知識を習得することによって医療従事者以外の職種の多くの人々より医療従事者に近い立場であると認識しているということをはじめに述べておきたい。

    さて、私が定期的に通院している内科の病棟に入院しているとき、主治医および主治医のオーベンの診察を受けた際のエピソードについて述べる。普段の診察では主治医のみであるのに病棟回診には、主治医のオーベンも来られた。検査結果の説明と現状、治療方針を説明していただいた後に、治療の科学的な機序や意義について疑問に思ったので、私は「この薬を使った治療にどんな意味があるのですか?」と聞いたところ、主治医のオーベンは苦笑して(虚を突かれたといわんばかりに)「もちろんあなたの身体を良くするためです。聞きなれない用語に戸惑ったかもしれませんが、選択肢の中では最良のものですから、安心してくださいね。」とおっしゃった。私は質問する意欲をそがれて、さらに「機序が知りたいのですが…」と聞くことができないまま治療法を選択することになった。後から一人で回診に来られた主治医が詳しく機序を教えてくださった。私はこの出来事の後、自分の言わんとすることがうまく通じなかったという満たされない思いを抱いた。

    私の意見では、ここでの問題点は大きく3つある。

    1つ目は、これが最も重要な要素であると考えるが、私は「この薬を使った治療にどんな意味があるのですか?」という問いを記述的回答を期待して使ったのに対して、オーベンはこれを私の表出的表現であるととらえてしまったことである。すなわち、私もオーベンも互いのコードのずれに気付いていなかった。さらに、メタ言語的機能を持つ言葉をやりとりしなかったため、言葉のとらえ方のずれを軽減することなく会話を進めてしまった。あとから考えると、先に述べたように私の立場が多くの一般的な患者さんと異なることが今回のようなコードのずれの原因であるとも思える。また期待しない回答を得た場合には、その場で「そのような意味で質問したわけではない。」ということを伝えるべきであった。

    2つ目は、初対面に近い主治医のオーベンと私がお互いの考え方(広くとらえると価値観)を探ることなしに、医者と患者という立場から半ば事務的に会話を交わしてしまったことである。私としては初対面に近い専門家から「安心してください。」と言われることはかえって威圧的に感じてしまうのに加え、求めた回答が返ってこなかったという点で満たされない。オーベンからすると私が治療方針に対して不安感や懐疑心を持っていると捉えてしまうことで、「自分自身の考え方を理解してもらえなかった。不満があるのかもしれない。」と感じたのではないかと推察する。講義中に社会とのコミュニケーションの項目で述べられた「インターフェイスの意識」が、このようなマンツーマンのコミュニケーションの現場でも重要であると考える。私が経験した場面ではこのインターフェイスの意識が両者に欠損していた。

    3つ目は、主治医の立場の問題である。コミュニケーションの現場で、私(患者)とオーベン(上司)に挟まれた位置にいる主治医は、思い通りにコミュニケーションを円滑に進行させる役割を果たせなかったのではないかと考える。私と彼女は長期間にわたる定期的なコミュニケーションによって信頼関係を築いてしたし、同時に、彼女と彼女のオーベンは同じ医療従事者としてより近いコードに則ってコミュニケーションを行っていると推測する。しかしながら、今回のようにコミュニケーションの「現場」で彼女が媒介者的な存在となれなかったのは、医局という一つの組織から来る制約や個人の限界の問題に関わる取り扱いの難しい問題であると考えられる。

    今回のエピソードおよび問題点の分析から、講義内容にあった「コードの切り替え」の重要性を改めて認識した。またこのコードの切り替えは、実際の現場では不特定多数の異なるバックグラウンドを持つ人と接する医療の現場においてはしばしば困難であると感じた。そのような困難な状況では、よりよいコミュニケーションのために、コードのずれは放置せずメタ言語的機能をもつ会話を積極的に行うべきであると主張する。相手のコードに関して問うことによって、お互いのコードのずれを軽減することができる。また、コードのずれの軽減はクライアントに対する倫理的次元のコミュニケーションの実現のみならず、組織内部での葛藤の軽減につながるのではないかと考える。

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