香港アイデンティティの形成

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    藤井省三『現代中国文化探検――四つの都市の物語』(岩波新書/1999)を読んでの考察レポート。

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    香港アイデンティティの形成
    ◆はじめに◆
     香港は中国を代表する都市である。いまや観光地としても有名であるが、現在に至るまでに香港は様々な苦難を乗り越え、発展を遂げてきた。本論では参考図書に基づいて香港の歴史を辿り、香港アイデンティティの形成について論じる。
    ◆割譲された香港の成長~繁栄の中断◆
    アヘン戦争後に結ばれた南京条約の結果、清朝がイギリスに香港島を割譲したのは1842年のことで、人口はわずか5000人であったという。それから約60年後には人口はおよそ28万人に増加した。南京条約では香港島割譲とともに、沿岸五都市の開港が決められた。その中でも中華文明の心臓部に位置する上海が、南方辺境の地に位置する香港にも増して繁栄していた。東洋一の国際都市へと成長した上海の人口は1930年には香港の人口の3倍にもなった。中央で活躍する大きな兄を、南の辺境から見上げる小さな弟、というのがそれまでの香港のイメージであった。
     しかしながら香港は36年の粤漢鉄路開通により、中国の全国市場と直結していた。また、戦前の香港が中国人にとって永住の地ではなく、主に広東からの出稼ぎ者の街であった点も植民地都市..

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