08832外国史(東洋)第2分冊「唐王朝の国際性」

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    唐王朝の国際性
    唐は国際性の豊かな時代である。唐の前半は「羈縻政策」がうまくいき、非常に広い地域が唐の勢力下に入る。この時代の地図を見るとその広大さが分かる。
    領域内だけでも多くの民族が住んでいた。貿易、留学いろいろな目的で世界中から雑多な民族が集まってきたので、「都長安」は国際色豊かな都市となった。人口も百万人を超え、バグダッドと並んで当時世界最大規模の都市である。
    都護府は、唐の国力を示すより、むしろ唐の国際性を示すものである。国内には外国人の慰留が多かったことからも分かる。中央アジア出身を意味する安姓、史姓、康姓の人たち、朝鮮出身の高姓、土耳古系の阿史那姓や契苾姓などの人々が高位高官に登用された例は少なくない。例えば、朝鮮出身の将軍の高仙芝は、漢人の大軍を統率して、イスラム東征軍とタラス河のほとりで戦った。ブハラから来た対象の一員がモンゴリアの巫女と通じて生んだ安禄山は、安史の乱の口火を切った。
    唐の粛宋の時代にも田神功が劉展を揚州で討った時の記録にも、大食波斯の賈胡の死者が数千人とある。また、黄巣の反乱軍が広州を襲った時、この町に居留していたイスラム教徒・ユダヤ教徒・拝火教徒で..

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