08832外国史(東洋)第1分冊「漢王朝と西域の関係」

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    漢王朝と西域の関係
    河西とは、後世の甘粛省の西部に属する蘭州から敦煌の間にあり、この山なみに沿って東西に帯のようなステップができている地帯である。漢人はこれを西域に通じる重要な通廊とし、ステップの上にオアシスを作り並べて、現在の姿にした。この河西通廊の西に西域が続く。東部はタクラマカン、西部はキジル・クム、カラ・クムと呼ばれる大砂漠が広がり、その上にオアシスを散らしている。「漢書」の西域伝では、西域を定義づけて東トルキスタンとしている。従って西域とは、トルキスタンを指すとする。
    河西は、中国から西域に入る通廊として重視された。中国の戦国時代には、月氏が西域と中国との間、西域と匈奴との媒介者となって中継貿易に従事し、一時は大いに栄える。しかし、匈奴の冒頓単于の時になって、月氏人は駆逐されてしまう。これまで中継基地として月氏人が維持していた河西は、匈奴に占領される。匈奴はここに貿易の基地を営み、その中心にバリークを作った。
    一方、匈奴に追われて西に走った月氏は、アム河方面に大月氏国を建てた。そのため、漢朝は、大月氏を再びその故地の河西に呼び戻し、匈奴に代わって西域と中国とを結ばせようとする..

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