教育史 設問1、2

閲覧数1,970
ダウンロード数15
履歴確認

    • ページ数 : 16ページ
    • 会員880円 | 非会員1,056円

    資料紹介

    佛教大学2010年12月提出リポートA判定のものです。ご参考になさってください

    タグ

    経済学校子ども社会発達学習文学思想大学家庭

    代表キーワード

    教育史

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    『藩校について述べよ。』
     封建体制機関の教育機関の一部として徳川幕藩体制の確立は、封建制度社会の完成であった。幕府は、地方分権を建前としながらも、強力な統制と強力な統制と制約を加えることによって幕府兼職の集中化を図った。また、幕府は複雑な身分制度をしき、しかも世襲制度によって固定化させることで、それぞれの階級の文献内における知足安分思想を強く求め、その結果、武士中心の社会秩序の維持を築きあげた。だが、封建社会が熟するにつれて封建社会の内部矛盾が露呈された。すなわち、幕藩体制下の経済は、農業生産を主とする自然経済を基本としていたが、商工業・産業の開発は、商品・貨幣経済を著しく発達させ、幕府による財政の立て直し策も、加速的に進行する封建社会体制の矛盾、崩壊の過程を食い止めることは困難となっていくのである。さて、幕府は封建体制の秩序を維持強化するため、幕府直轄の学問所や各藩に藩校など多くの学校を設け、儒学、特に朱子学を官学として、教育内容の中心においた。以下、幕府直轄の学校である昌平坂学問所及び藩校について、その成立と展開について考察する。
    昌平坂学問所は、幕府儒官である林羅山の家塾に、寛...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。