『リア王』観劇によせる考察

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    『リア王』観劇によせる考察                   
     
     二〇一一年一月十五日、俳優座で上演された『リア王』を観た。安川修一による演出は、現代性を交えながらも原典の簡素さを維持しており、全体として簡潔明快な印象が残った。現代において『リア王』を家族の希薄化、介護問題等の点から語ることはますます増えたように感じる。確かに現代に通じる観点を持って語ることは我々に馴染みやすいだけでなく、おそらくある程度の妥当性も持っている。しかし安川の『リア王』においては、人間のおかれた極限状態がつぶさに検証され、観客に示されている。これは醜悪であると同時に爽快である。老王の隠居を契機に、プライド、嫉妬、裏切られた愛、狂気、拷問、殺人などが登場人物たちの間に露出する。人が生活を営む上で、内に黙殺しているあらゆる悪徳が赤裸々に露呈し始め、彼らはやがて獣のように振る舞うようになる。この様子を、観る者は初め戸惑いと嫌悪感を、やがてカタルシスを伴いながら悪の往きつく先へと同道する。究極的に、安川の『リア王』が打ち出したものは人間の「欲望」である。

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    『リア王』観劇によせる考察                   

     

     二〇一一年一月十五日、俳優座で上演された『リア王』を観た。安川修一による演出は、現代性を交えながらも原典の簡素さを維持しており、全体として簡潔明快な印象が残った。現代において『リア王』を家族の希薄化、介護問題等の点から語ることはますます増えたように感じる。確かに現代に通じる観点を持って語ることは我々に馴染みやすいだけでなく、おそらくある程度の妥当性も持っている。しかし安川の『リア王』においては、人間のおかれた極限状態がつぶさに検証され、観客に示されている。これは醜悪であると同時に爽快である。老王の隠居を契機に、プライド...

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