【H25.26年度対応】0015歴史学<分冊1>日本大学通信教育部/評価S

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    参考文献 吉宗と享保の改革

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    「徳川吉宗・大岡忠相・田中休愚-日本・近世」
    江戸時代前期には、戦国大名や江戸時代の大名による耕地拡大や、日本各地での金銀の産出量ピーク、全国規模での城下町建設や航路の整備、人口の増加と、大規模な国土開発と経済発展があった。
    しかし、この経済成長は、十七世紀中頃を境に衰える。幕府は、寛文六年二月、下流域の治水を目的に「山川掟」という法令を発布し、各地での開発を制限。日本の農業は、単位面積あたりに多くの労働力を投入することで、より多くの収穫を目指す精農主義へと変化した。さらにこの時期、金銀産出量も急激に低下。幕府の鎖国により、経済規模の拡大も不可能だった。社会不安は経済のみならず、全国的な疫病の流行にもよっても増幅された。前田吉徳や徳川吉通、五代将軍徳川綱吉などが疫病がもとで亡くなり、全国各地で膨大な死者を出している。
    このように、吉宗が将軍となった時期は、国土開発、経済動向、人口減少などからみて、江戸時代を二分するような大きな転換点を曲がり終え、米価・物価問題、疫病の流行など社会不安が一気に高まった時期だった。しかし、元禄期以後の支出の増大の中で、幕府財政が著しく悪化していたため、こう..

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