式子内親王の生涯

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    式子内親王の生涯
     私は、この授業で式子内親王の「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば しのぶることの 弱りもぞする」という百人一首でもよく知られている歌が非常に印象強かったので、式子内親王について調べてみました。
     式子内親王は後白河上皇の第三皇女で、母は藤原季成女、高倉三位成子です。生まれた年は久しく不明とされていたのですが、久安五年(一一四九)と判明しました。式子は平治元年(一一五九)十月二十五日、十一歳で賀茂斎院に卜定され、嘉応元年(一一六九)七月二十四日病のため二十一歳で退下するまで約十年間奉仕しました。その後は生涯独身を通し、建仁元年(一二〇一)正月二十五日に五十三歳で没しました。
     この式子内親王には妙なうわさがあり、愚管抄には建久七年(一一九六)頃、後白河院の霊が藤原公時の家司橘兼仲の妻に憑いて「我祝へ 社作り 国寄せよ」と妖言したといわれ、式子内親王もこれに同意したとされ、洛外に追放される寸前になりました。しかし、これは結局人を惑わせる妖言であったとして、夫婦とも流罪になります。他にも、正治二年(一二〇〇)十月、春宮守成親王(順徳天皇)を式子が猶子にするという議が起こ..

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