人文地理学概論分冊1、歴史的都市と城下町に関する報告

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    資料紹介

    人文地理学概論分冊①の合格原稿です。

    課題:わが国の歴史的都市の多くが、近世の城下町を基盤として、明治以降に顕著な都市化をしてきている。そこで、国内からこの内容に合致する事例都市を任意に選び・・・・・の原稿です。
    私は弘前市を選び書き上げました。

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    東北の雄藩である津軽の城下町弘前は江戸期に徐々に拡大し、放射状の街道に沿って四方に奔放に拡大した町割りである。弘前について以下のように述べる。
     津軽統一を果たした藩祖の津軽為信は1603年に高岡に新しく築城を計画した。この築城の選定には、軍学者である沼田面松斉の意見といわれ、北下がりの南北に長い洪積大地の北西の端に西と北の崖地の線を基準に沿って町割りされた。北に広がる藩域の全体を見渡し、四方に街道が放射状に延びる城下町の構成である。白神山系を背景に北に向かう主軸を持ち、左から前面に岩木川の大河があり、右には羽州街道を配し、風水にかなった形態ができあがっている。西の低地には紺屋町など舟運や水を利用する町人地と下級武家地が配された。大手門は北への方向性を意識し当初は北門へおかれていた。この初期の弘前城下町の形態が完成したのは2代信牧の時代であり、高岡城下町と呼ばれた。1611年から1710年には城郭の東側に町割りを拡大し、大手門も移動し、城郭の東に大手門がおかれ、東大手門と北上軸という東北の城下町に共通する構成が完成した。戊辰戦争で政府側についた津軽藩は、幸いにも城郭の破壊を免れ、天守閣..

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