人権教育

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    資料の原本内容

    第一設題 50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践のあり方を具体的に論述すること。
     正直今回、このテキストを読んで、初めて知ることも多々あった。たしかに、全国水平社などは、学校の、たしか中学校の歴史で学んだと思うが、それはただ単に固有名詞を学んだだけでその背景、また、どのようなながれでこのようになったのかは、全然学習してなかったと思う。
    私は、箕面で生まれ、猪名川町の日生ニュータウンで育ち、今もそこに住んでいる。ここのあたりは、宅地開発されたところだったため、同和地区とはあまり接点がない。また、この辺の学校では私の頃は、あまり同和教育が熱心にはされていなかった。表面上、いっぺん通りのことだった。でも、いまになって思うが無知というものは、恐ろしいものである。偏見が偏見を呼び、うわべだけの知識で物事を判断してしまう。そのことを、今になって気づく。
    そもそも、同和教育とは何か。これは、自分が教師になって実際、子供達に教えていくにあたって、非常に大事なことだと思う。まずは、何事もそうだが、その背景、歴史をしることだ。
    歴史をひもとくと、かなり昔にさかのぼるが、倭の国が出来たころには、「下戸」または、「大人」などの呼び名があったという。それから、色々な時代にも常に、奴隷のようなものが存在し、呼び名がかわったとしても、そのような存在があった。その後、長い歴史を経て第二次世界大戦を、深く反省するなか、1948年12月、「世界人権宣言」がパリで採択された。この宣言はフランス、パリで行われたものだが、人権保障の分野では大きな役割をはたした。
     現在の、日本国憲法に保障される基本的人権の保障にもおおきな影響があったともいえよう。このように、第二次世界大戦後、少しづつであるが、前進したように見える。が、実際のところは、部落差別の現状を見たときに、まだまだ差別意識は依然として、根強く残っていた。とくに、生活や就労、教育面などである。
     このように、経済成長と共に、人権教育も盛んになってきた。1995年から2004年までを、「人権教育のための国連10年」として、国際的にも、人権教育の普及と確立に向けて取り組みが進められてきた。「世界人権宣言」のあと、色々な宣言や条約が執り行われて来たが、これら人権を守るということを、宣言や条約のとどめるのではなく、人々の日常の生活レベルで具体的に実現していくことを、求めている。
     しかし、大昔から続いてきた「部落」という偏見を、人々の生活の中から、なくしていくというのは、とても時間がかかり、非常に難しいことなのだと、痛感せざるおえない。私が住んでいる猪名川町のとなり、川西市には火打という土地があり、そこはおおきな皮製品を扱う工場があった。今は住民の反対などがあり、全く違う場所に移転しているが、私が子供のころは、川西能勢口の駅まで、においがただよっていた。私の周りの友人の中で、あそこは怖いところ、ということになっており、親からも、そこにはいってはいけないと、いわれていた。私は、それを鵜呑みにし、成長してきた。このような、事実を把握もしないで、偏見だけで偏った考えをもったまま、大きくなり、また、その子が親になり、子供達に同じようなことを伝える。これでは、一行に同和問題は、進展しないだろう。だから、同和教育をきちんと行う必要がある。戦後まもない1951年10月、京都でおこった「オールロマンス事件」。これは、この同和問題を、おもしろおかしく興味本位と、偏見でかきたてた。これが、問題となった事件である。これは、ほんの氷山の一角で、教育、結婚、就職など、色々な面で阻害されてきた。
     このような状況を少しでも、よくするために、学校教育や社会教育だけではなく、企業や一般社会における人権教育の推進、また、「人権にかかわりの深い特定の職業に従事する者」として、検察職員、教員、医療職員、福祉、警察などは、研修などにおいて人権教育の充実をかかげている。とくに、私たちが目指す、いわゆる教育関係者は、将来にはばたく子供達にきちんと理解させる必要があるので、教える側が正しく把握しておく必要がある。また、1996年頃から、名称などが、「同和」から「人権」に変更されつつある。同和について、色々と施策を講じるのが同和問題の解決にはならない。ようするに、文面上であれこれしているだけではなく、行動にうつすことが大事である。これを認識したうえで、「同和教育と人権教育」の関係を整理し、まとめてみよう。。
    同和問題は未だ、解決はしていない。しかし、同和問題の解決を目指した教育の営みと広く人権を尊重する教育の営みとを総体として、人権教育は推進されるのである。もっと、わかりやすくいうと、人権教育はカウンセリングではなく、社会的原因をさぐり、それを取り除くことも追求する。他の人との関係を大切にするうえで平等な関係を培い、よい関係を結ぶ制度やルールをつくろうとするのが、人権教育である。この、人権教育を、そのまま、授業に持ち込むと、非常に子供達には、わかりにくく、理解しにくい。これまでの同和問題学習は、映画や講演など、厳しい状況をみせられ、「差別はいけない」、「みんな、仲良くしよう」というような、差別否定の精神を培う伝達教授型が多かった。これからの学習は、クラスの子供達どうしが、体験的な活動や問題意識を明確にした話し合いを通じて、さまざまな場面でさまざまな人々と出会い、互いに磨きあう学習である。これは、総合的な学習の時間に、子供達が興味、関心をもった学習などを、創作工夫をいかした教育活動を行う。2002年から、文部科学省がとりいれている。この学習方法は、一方的な人権教育ではなく、生徒皆が自分たちで考え、行動し、意見を出し合い、話し合うというもの。実際、体験するというのは、非常に大事なことだ。
    これからは、いままでの同和問題の歴史をきちんと理解したうえで、このような、総合的な学習の時間に実践的な、授業をおこなう。このような、双方から学ぶということが、まだまだ、始まったばかりの人権教育に大切なことだろう。この問題は、非常に敏感で難しい問題である。授業で取り扱うには、十分なリサーチと気配りが必要だ。生徒達に、差別をする、される、気持ちを理解させるには、具体的に歴史の流れを教え、体験し、話し合う。
    この具体的実践は京都、千本で実際に、展開されている。例えば、タウンウオッチング。これは、目にマスクをして、実際、目の不自由な人の生活を体験してみる。これで、子供達がどのように感じるのかを、体験を通して、話し合う。教室で、先生の話だけを聞いていても、分からないことが、たくさんある。自分たちで体験した後、教室で話し合う。というものである。これは、例として、小学生5年生の総合の時間であるが、他にも、在日朝鮮人についてや、部落問題など、テーマはさまざまである。
    このように、同和教育も、だんだんスタイルを変え、進展しているわけだが、まだまだ、第1歩を踏み出したところなのである。
     
    p6703 人権教育 第1設題
    10743-50459 上井尾 真紀
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