【玉川大学】教育学概論Ⅱ「教育の場のあり方」

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    ※このレポートは、玉川大学通信教育部・科目名「教育学概論Ⅱ」平成22年度課題の合格済レポートです。

    教員による評価・批評は以下の通りです。

    <評価>
    A(合格)

    <批評>
    あなたは基本的な問題について、よく考え、まとめておられます。
    各々の場の特色はよく捉えてあります。
    家庭、地域、学校といった場で何が求められるか、充分明らかにしたといえるでしょう。
    “対話”という発想、大切です。
    ____________________________

    このレポートでは、「教育の場のあり方」を説明し、考察する。教育の場を捉える際の重要な視点が2つある。ひとつは、教育の場は学校だけでなく、人間の二面性が自覚されれば、どこでも教育の場になりうる視点。そして、もうひとつは、教育の場は良識に基づく協同社会であるべきという視点である。この2つの視点から教育の場のあり方を説明、考察する。

    <人間の二面性が自覚されれば、どこでも教育の場になりうる視点>

    まず、人間の二面性が自覚されれば、どこでも教育の場になりうる視点、すなわち、その場所を教育的に自覚するという視点について述べる。
    人間の二面性を自覚すれば、どこでも教育の場になるというのは、二面性を持つ人間観からくるものである。人間は私的な孤独性と公的な連帯性の二面性を持っている。人間は男女や親子、師弟や同輩などの人との結びつきによって存在できるものであって、決して一人では生きていけない。その反面、母胎より離れた乳児は、既に単独の個人でもある。人間は、この二面性を調和させていく存在であるし、二面性の調和が個性を発達させるのである。
    このような人間観に立つと、人間が作る場所には二面性があるということになる。いうまでもなく、教育は個性を発達させることである。二面性のある人間が作る二面性のある場所は、その二面性が自覚されれば、その二面性を調和させて、個性を発達させる教育の場となる。
    たとえば、家庭という場の場合。家庭という集団は、自然発生の集団であり、感情主体の共同体であると同時に、倫理性が求められる理性的な人格的集団でもある。この自然性と倫理性の二面を自覚することで、家庭は教育の場となる。そして、この二面性を調和させていく方法は、しつけである。このように、家庭教育の主たる使命は、自然性と倫理性を調和させながら、道理の感覚を育てていくところにある。

    <教育の場は良識に基づく協同社会であるべきという視点>

    次に、教育の場は、協同社会であるべきである、という視点について述べる。人間の二面性が自覚された場所は教育の場として機能するが、その教育の場は、協同社会であるべきである、という視点も大切である。なぜなら、教育は対話的な作用が必要不可欠だからである。そして、対話的な教育ができる場は協同社会なのである。
    協同社会とは、人間社会は成員の総体であるという考えに基づいている。成員は社会のために、社会は成員のためにという精神がある社会であり、公と私とが組織的に調和している社会のことである。
    そもそも、教育は対話的でなければならないというのは、人格的な交わりの上に成り立つ道徳教育は対話的でなければならないことは言うまでもなく、知識教育においても、一方的に教授するというものではなく、質問・応答の対話をもって成立するからである。たとえ、的確に質問することができないような低学年の児童であっても、教育者が疑問を提起し、疑問を持たせ、それに教育者が答えるといった、対話的なやり取りが必要不可欠である。

    このように、教育の場は協同社会であり、個々人が社会の成員として考えられなくてはならない場なのである。しかし、従来、学校をはじめとする教育の場の集団性格は、家庭にみられ…

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     このレポートでは、「教育の場のあり方」を説明し、考察する。教育の場を捉える際の重要な視点が2つある。ひとつは、教育の場は学校だけでなく、人間の二面性が自覚されれば、どこでも教育の場になりうる視点。そして、もうひとつは、教育の場は良識に基づく協同社会であるべきという視点である。この2つの視点から教育の場のあり方を説明、考察する。
    <人間の二面性が自覚されれば、どこでも教育の場になりうる視点>
    まず、人間の二面性が自覚されれば、どこでも教育の場になりうる視点、すなわち、その場所を教育的に自覚するという視点について述べる。
    人間の二面性を自覚すれば、どこでも教育の場になるというのは、二面性を持つ人間観からくるものである。人間は私的な孤独性と公的な連帯性の二面性を持っている。人間は男女や親子、師弟や同輩などの人との結びつきによって存在できるものであって、決して一人では生きていけない。その反面、母胎より離れた乳児は、既に単独の個人でもある。人間は、この二面性を調和させていく存在であるし、二面性の調和が個性を発達させるのである。
    このような人間観に立つと、人間が作る場所には二面性があるということ..

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