日本中世史 第二回 義教期の幕府政治 評価A 2010 ★縦書きです★

閲覧数1,501
ダウンロード数1
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    日本中世史 「第2回 (1) 将軍足利義教期の幕府政治について述べよ。」についてのレポートです。評価A。2010年度の問題です。参考にしてください。★提出要項にあったため縦書きのままです★

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    日本中世史
    二〇一〇・〇八・二〇
    第2回 (1) 将軍足利義教期の幕府政治について述べよ。
    鎌倉府との関係から見る義教期の政治
    義教は正長元年(一四二八)に義円から還俗して義宣と名乗り将軍となったが、評定始・判始はすぐに行われたことに対し、将軍宣下は一年二ヶ月も先送りされた。それは幕府が朝廷に義教を将軍継承者とする報告がなかったという不満もあったが、鎌倉公方足利持氏の存在が大きかった。籤引きという異例の将軍選びに候補者としての自覚を抱えていた足利持氏は、候補者にすら入らず、また義教決定後に対して明らかな敵意を室町幕府に示していた。そのため関東における京都扶持衆から、持氏上洛の報告が相次ぎ、実際に関東管領上杉憲実の諫止がなければ思いとどまらせることは出来なかった。持氏が年号を義教の改元に基づく永享を使わず正長を使い続けていたことは抵抗の一例である。
    室町幕府開創にあたり、鎌倉には精神的支柱として義詮が置かれ、関東を管轄する地方機関として鎌倉府が整備された。義詮が将軍として上洛すると、弟基氏がこれに代わり、基氏の子孫は鎌倉公方を世襲する。そして、基氏の子、氏満の頃から、実質を失いつつある南...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。