日本の歴史 第1課題

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    鎌倉幕府と執権政治について
    一一八○年(治承四年)王位継承の望みを断たれた以仁王と,源頼政は平家をたおすために立ち上がり、平治の乱後、伊豆に流されていた頼朝は、一一八〇年(地承四年)、以仁王の命に応じて平氏打倒の兵をあげた。やがて頼朝は源氏嫡流としての権威を利用して領主権力の維持拡大をめざす関東武士団の指示をえて、またたくまに南関東に覇権を確立、相模の鎌倉を本拠とし、御家人統率のために侍所を置き、「東国」に対する経営を進めた。頼朝の住居(建築的にはこれが幕府である)も造営され、これは新政権成立の宣言を意味するものであった。
    新政権はこの後三年間、京都の朝廷から独立した国家として東国を支配した。しかし頼朝は、一方では挙兵当初からひそかに後白河法皇と提携していた。そして、一一八三年(寿永二年)平氏が都落ちし、法皇の院政が機能を回復すると、法皇と頼朝との交渉は急速に進み、朝廷は寿永二年十月宣旨によって頼朝の東国支配を正式に承認した。ここに東国独立国家は解消し、東国は朝廷の支配下に復した。一一八五年(文治一年)平氏は滅亡したが、頼朝・義経兄弟の対立が生まれ、義経が法皇から頼朝追討の宣旨を得たの..

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