外国史B 課題1

閲覧数979
ダウンロード数4
履歴確認

    • ページ数 : 6ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    アウスグライヒ(1867年)について。 あくまで参考にしてください。

    タグ

    外国史東洋大学通信今村

    代表キーワード

    外国史

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    1848年パリで革命が起き、その波及はウィーンまで伝わった。公共施設や工場が破壊され、学生は学問の自由を訴えた。そして、憲法の制定が約束されたと共に、民族主義運動の始まりであった。ウィーン革命後、フランツヨーゼフ1世が皇帝の座につく。しかし、1849年にハンガリーが独立を宣言した。しかし、すぐに弾圧されるが、ハンガリーの影響力は強くなっていった。さらにサルデーニャ戦争により1859年にはロンバルディアを失い、皇帝の力はますます弱くなった。そして、ドイツ連邦の主導権を巡り、普墺戦争で破れてしまい、ドイツでの主導権を失い、ドイツ連邦から締め出さ、長年支配していたイタリアを失った。ドイツやイタリアが民族国家となっていくのを見たハンガリーのマジャール人は、徐々に民族運動を活発化させていった。フランツヨーゼフは弾圧するも1853年にはハンガリー人に襲撃されている。

     またマジャール人と帝国は、ともに、スラブ人の民族主義運動の抑圧をしたがっていた。

     さらにロシアが勢力を拡大しているために、オーストリアもハンガリーと共存していかざるを得なかった。独立したいハンガリーとロシアに備えるオーストリア...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。