【聖徳大学】東洋の歴史Ⅱ 課題1[B] + 課題2[B] + 試験対策[S]

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    資料紹介

    ■第1課題 第2設題 B評価
    アヘン戦争と不平等条約
    [講評]
    ・イギリスがアヘン貿易を行った背景として清英間の貿易不均衡や当時の世界経済の状況を視野に検討した点を評価できる。
    ・武力行使やアヘン貿易について、イギリス議会における議論も考察するとなおよい。
    ・アヘン戦争の東アジア諸国への影響を考えるとなおよい。

    ■第2課題 第3設題 B評価
    辛亥革命と近代中国
    [講評]
    ・辛亥革命から軍閥、共産革命までの時代をよく整理できている。
    ・共和国出現が中国や周辺諸国へ与えた影響を考察するとなおよい。
    ・袁世凱による共和国解体=帝制復活の背景を考察するとなおよい。

    ■試験対策 A評価
    正誤問(解説付き)、穴埋め、論述(2題)
    ※経年による傾向の変化は自身で確認のこと

    ■参考文献
    『東洋史要設』鈴木俊 吉川弘文館 1960年5月31日
    『実録アヘン戦争』陳舜臣 中央公論新社 1985年3月31日
    『辛亥革命』野沢豊 岩波新書 1972年2月25日

    ■備考
    資料は「第1課題→第2課題→試験対策」の順に記載。

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    第1課題 第2設題
    1、アヘン戦争開戦の経緯
    当時のイギリスは中国から茶を大量に輸入していたが、その対価として対中輸出できる有力な産品を持たなかった。このためイギリスは大きな貿易赤字を出すことになる。困った東インド会社は考慮の末、植民地としていたインドでアヘンを栽培し、それを中国に輸出することにした。つまり、まずイギリス本国で製造された工業製品をインドに輸出し、インドからはアヘンを輸出し、中国から茶を輸入する、という三角貿易である。
    これを問題視した清朝はアヘン禁止令を出すに至った。しかし東インド会社は個人貿易商などをダミーとして、引き続きアヘンの輸出を継続。清朝内部ではこの事態に対し、イギリスと対立してでもアヘンを取り締まるか否かが問題となった。道光帝は1838年に林則徐を欽差大臣(特命大臣)に任命し広東に派遣、アヘン密輸の取り締まりに当たらせた。林則徐はイギリス商館長チャールズ・エリオットを逮捕するとともに、アヘン2万箱を没収・処分した。イギリス側は逆にこれを好機とし、中国に開国と自由貿易を強要するべく戦争を仕掛けることとした。
    さて、清朝が三角貿易を問題視した理由は諸説ある。①ア..

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